聖教要録とは ~山鹿素行~ 皇紀2679年
『聖教要録』に先立って編集されたのは、『山鹿語類』である。これは門人達が山鹿素行の言葉を記録し、それを分類したもので、全45巻の浩瀚なものである。文章は、和文と漢文の両方が共存し、素行自身の筆になるものも含まれてゐると […]
『聖教要録』に先立って編集されたのは、『山鹿語類』である。これは門人達が山鹿素行の言葉を記録し、それを分類したもので、全45巻の浩瀚なものである。文章は、和文と漢文の両方が共存し、素行自身の筆になるものも含まれてゐると […]
4月29日 奉祝 昭和節 2600年以上の皇統史に、「受禅」の対置語として、正語「譲位」がある。しかし、「退位」といふ奇天烈な言葉は、日本帝國に一度も存在した事はない。日本の歴史上、初めての新奇な語彙「退位」は、天皇制 […]
神武天皇祭の起源について、「井原頼明著 増補 皇室事典(昭和17年)」に次の記述がある。 『 神武天皇は、御即位716年3月11日(太陰暦) 大和の橿原宮に宝算127を以て崩御あらせられ、畝傍山東北陵(うねびやまのうし […]
春分の日は「春季皇霊祭」、秋分の日は「秋季皇霊祭」である。戦後占領下でGHQによって春分、秋分の日と改変されたのである。 この御祭儀は、皇室の御歴代、后妃を始め皇族方に至るまでの、天皇陛下のご先祖の神々を皇霊殿で、ま […]
戦前の我が國では、「祝祭日」が定められてゐた。今日の単なる休日化した「国民の休日」とは異なってゐたのである。「祝祭日」が宮中祭祀 = 神道と関連が深いことを知ったGHQ占領軍は、まづこの『祝祭日』の廃止を指示した。而し […]
『神殿へすのこの上をすすみ行く年の始めの空白み初む』(今上天皇御製) (当時)皇太子殿下の昭和49年歌会始のお歌である。 元旦、天皇陛下が四方拝の儀を修され、辺りが明るみ始めると、天皇陛下は、引き続いて隣接する宮中三殿 […]
GHQ占領期から後、マスコミは正しい皇室敬語を用ゐなくなった。秋篠宮文仁親王殿下の御生誕日に際し、各地のマスコミは、「秋篠宮様」と報道してゐたが、これは、正統な明治皇室典範にも占領典範にも違反してゐる。 [皇室典範] […]
日本各地で多種多様かつ「美味しい米」の生産を可能にしてゐる種子法がなぜ廃止されたのか? 種子法廃止は、平成28(2016)年10月に行なはれた規制改革推進会議農業ワーキング・グループと未来投資会議の合同会合ではじめて提 […]
『身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留置まし大和魂』 吉田松陰が、処刑二日前の10月25日に書き始め、翌日26日夕刻までに江戸・小伝馬町牢屋敷の中で書き上げられた「留魂録」の巻頭に綴られてる弟子宛の辞世の句である。松 […]
昭和12(1937)年7月7日夜半、盧溝橋付近に駐屯してゐた日本軍、國民党軍双方に発砲がされ、互ひに銃撃を受けたものと思ひ込み、日本軍と國民党軍が交戦状態となった。盧溝橋事件である。双方、現地解決・事件不拡大方針で交渉 […]