北支事変を支那事変に改称
昭和12(1937)年7月7日夜半、盧溝橋付近に駐屯してゐた日本軍、國民党軍双方に発砲がされ、互ひに銃撃を受けたものと思ひ込み、日本軍と國民党軍が交戦状態となった。盧溝橋事件である。双方、現地解決・事件不拡大方針で交渉 […]
昭和12(1937)年7月7日夜半、盧溝橋付近に駐屯してゐた日本軍、國民党軍双方に発砲がされ、互ひに銃撃を受けたものと思ひ込み、日本軍と國民党軍が交戦状態となった。盧溝橋事件である。双方、現地解決・事件不拡大方針で交渉 […]
盧溝橋事件から1ヶ月の1937年8月、陸軍は、参謀本部次長の多田駿(中将)や同作戦部長の石原莞爾(少将)ら、不拡大派がまだ主流であった。 この為、日支事変は北支に限定されてゐた。そこでスターリンとしては、支那の國民党政府 […]
大東亜戦争はおろか、第一次世界大戦、第二次世界大戦においても、「レーニンの敗戦革命論」をある程度理解しないと、真相を暴けない。 [レーニンの敗戦革命論] 1)帝國主義國家同士を謀略でもって、お互いを戦争させる。 2)戦争 […]
先に日独伊三国同盟について少しだけ触れておく。 日独伊三国同盟とは。 日独伊三国同盟が「反英米」なのは明白だが、問題は、それが「反英米 + 親ソ」なのか、「反英米 + 反ソ」なのか、はっきりしない事にあった。 1939年 […]