第ニアウシュウィッツ(ビルケナウ)収容所の敷地内に存在する第二死体焼却棟とは ~多量のシアン化合物が検出されなかったといふ科学的事実~ 皇紀2684年

 アウシュウィッツは、二つの収容所から成り、先に作られた第一アウシュウィッツ収容所の「ガス室」について、前回の記事にて触れた。その詳説は、やはり長文にならざるを得ない為、今回は、この第一アウシュウィッツ収容所から二キロ程離れた第ニアウシュウィッツ(ビルケナウ)収容所の「ガス室」について考へてみる。

 前述のやうに、この収容所は後から建設されたものであるが、その面積は第一アウシュウィッツより遥かに広大で、その広大な収容所敷地内及び周辺に複数の「ガス室」が存在したと、定説側は主張してゐる。さうした「定説」の主張を要約すると、ビルケナウ収容所の敷地内には、「ガス室」を備へた建物が合はせて四つ、加へて、収容所外部にも、ガス室を備へた家が二つ、或る時期、収容所に隣接して存在してゐたといふ。
 ここでまづ、重要な事を言ふ。ビルケナウには、このやうに、複数の「ガス室」が存在し、稼働してゐた、といふが、それら「ガス室」の「実物」は、それ/゛\程度は違ふが、皆、破壊された状態にあり、「そのまゝの状態」で存在してゐるものは一つもない。

 そこで、それらの「破壊されたガス室」について考へてみる。まづ、今日、ビルケナウ収容所の敷地内には、前述のやうに、処刑用ガス室を内部に持ってゐたとされる建物の残骸が全部で四つ存在するわけだが、これらは、建てられた順に、「第二死体焼却棟」「第三死体焼却棟」「第四死体焼却棟」「第五死体焼却棟」と呼ばれてゐる。(「第一死体焼却棟」は、第一アウシュウィッツにある)
 ここで一つ重要な事を指摘しておく。それは、その内部に「ガス室」があったかどうかは別として、これらの建物は当時明らかに存在してゐたといふ事である。

 まづ、第二死体焼却棟は、ドイツ人達が第一アウシュウィッツに第一死体焼却棟を作った後、隣のビルケナウに作った最初の火葬場がこの第二死体焼却棟である。重要な事は、この建物には地下室があった事だが、問題は、「定説」側が、これらの地下室の一つが処刑用ガス室として使用されてゐたと主張してゐる事である。
 この建物の地下室が「ガス室」だったといふ不合理を以下に列挙しておく。

  • ・地下のガス室をどうやって換気するか。
  • ・どのやうにして多数の死体を搬出するか。

 これらに加へて、見直し論者の一人であるフランスのフォーリソン教授は、「ガス室」だったはずの地下室の天井、即ちその地上部分に、肝心の小穴が一つしかない事を指摘してゐる。しかもその一つしかない小穴も、フォーリソン教授によれば、非常に新しいもので、戦後開けられたものだとしか考へられない、といふ。穴がなければ、チクロンBを投げ込めないではないか!

 かうした多くの問題も勿論、重要だが、実は、もっと決定的な科学的事実がある。それは、アウシュウィッツ(ビルケナウを含む)に現存するこれら五つの「ガス室」付きだったとされる死体焼却棟の破片を科学分析した所、予想されるやうな多量のシアン化合物がまるで検出されなかったといふ、重大な科学的事実である。
 即ち、アウシュウィッツ=ビルケナウには、処刑用ガス室が幾つかあり、そこで、青酸ガス(シアン化水素)を使った処刑が頻回に行はれたといふ話になってゐる。ところが、そのガス室があったとされるこれらの建物(死体焼却棟)からその破片である煉瓦やモルタルを採取し、化学分析した結果、予想されるやうな多量の青酸化合物(シアン化合物)は検出されなかったのである。
 この事を報告したのは、ウィリアム・ロス(William Roth)博士といふ、アメリカの化学者である。博士によるこの化学分析の結果は、フレッド・リューシュター(Fred Leuchter)氏といふ、アメリカで処刑用ガス室に関する仕事をしてきた人物による調査報告書(通称「ロイヒター・レポート」)に収められてゐる。
 この分析について、次回以降さらに詳述したい。

※参考文献
  • 「西岡昌紀著 「ガス室」の真実」
  • 西岡昌紀著 「ガス室」の真実

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