純然たる復讐行為 ~東京裁判とニュルンベルク裁判における規定の違ひとは~ 皇紀2685年
本裁判は国際裁判に名をかる各連合国の純然たる国内対策を目的とする復習行為に過ぎなかった。即ち、戦勝の誇りに酔った国民が日本軍の残虐行為の罵倒に夢中になってゐるのに、その責任者の一人さへも処罰できないでは、指導者の面目が […]
本裁判は国際裁判に名をかる各連合国の純然たる国内対策を目的とする復習行為に過ぎなかった。即ち、戦勝の誇りに酔った国民が日本軍の残虐行為の罵倒に夢中になってゐるのに、その責任者の一人さへも処罰できないでは、指導者の面目が […]
戦時(大東亜戦争)思想の官憲的統制として神道指令本文でも特に明記されて、後世にまで最も有名なのに、文部省が編纂した『國體の本義』がある。これは政府が、混乱する国民思想、神国思想の調整を考へて編集したものらしいが、その頃 […]
「陸軍省戦争経済研究班」は、国の経済抗戦力をPとし、関数 P = S(軍事供給力) / T(持久期間) で捉へ、軍事供給力と持久期間のバランスに着目した。そして、このシミュレーションの結論として、我が国が「二年程度と想 […]
大日本帝国陸軍は、昭和十四年秋、我が国の最高頭脳を集めた本格的なシンクタンク「陸軍省戦争経済研究班」をスタートさせた。我が国に経済国力が無い事を前提として、対英米の総力戦に向けての打開策を研究する為である。開戦の凡そ二 […]
「日本国憲法失効論」の著者である菅原裕氏は、実際に東京裁判で元陸軍大将荒木貞夫氏の弁護人を務めた。 この裁判に臨んだ日本の弁護人達は、次第に露呈してきた不法と欺瞞だらけの東京裁判に切歯扼腕したが、占領下の言論統制や公 […]
昭和12(1937)年7月7日夜半、盧溝橋付近に駐屯してゐた日本軍、國民党軍双方に発砲がされ、互ひに銃撃を受けたものと思ひ込み、日本軍と國民党軍が交戦状態となった。盧溝橋事件である。双方、現地解決・事件不拡大方針で交渉 […]
大東亜戦争は、コミンテルンのスパイによる暗躍が引き起こしたとよく投稿してゐる。 もっと根本を言へば、「我が国を計画経済体制にしたい」勢力が、「我が国も敗戦革命が必要だ!」と表向きは詭弁を重ねて扇動し、戦争を起こしたのであ […]
(※実のところ、以下の記事は中川八洋氏の史観を其の儘、転載しただけのものなので、多少なり偏ってる部分もあり、注意が必要ですが、一資料として考察する余地はあると思ふ。)↓ 日本では、近衛文麿総理のさらなる強行によって、九月 […]
日本は、近衛文麿首相(過激マルキスト)の強引なリーダーシップのもとに1941年7月2日に早々と「対英米戦を辞せず」(「情勢ノ推移ニ伴フ帝國國策要項」)を御前会議で決定してゐた。英米の衝突を不可避としてしまふ、「南進」その […]
熱烈に共産主義を信奉する尾崎秀実は、レーニンの敗戦革命論を共有してをり、第二次世界大戦は、その「戦争に破れ或いは疲弊した側から初めて多くの社会主義国家を生む」(1942年2月14日訊問)と考へ、だから第二次世界大戦を助長 […]