東條英機大将の弁護人を務めた清瀬一郎氏の陳述 ~不法と欺瞞だらけの東京裁判~ 皇紀2683年
「日本国憲法失効論」の著者である菅原裕氏は、実際に東京裁判で元陸軍大将荒木貞夫氏の弁護人を務めた。 この裁判に臨んだ日本の弁護人達は、次第に露呈してきた不法と欺瞞だらけの東京裁判に切歯扼腕したが、占領下の言論統制や公 […]
「日本国憲法失効論」の著者である菅原裕氏は、実際に東京裁判で元陸軍大将荒木貞夫氏の弁護人を務めた。 この裁判に臨んだ日本の弁護人達は、次第に露呈してきた不法と欺瞞だらけの東京裁判に切歯扼腕したが、占領下の言論統制や公 […]
昭和12(1937)年7月7日夜半、盧溝橋付近に駐屯してゐた日本軍、國民党軍双方に発砲がされ、互ひに銃撃を受けたものと思ひ込み、日本軍と國民党軍が交戦状態となった。盧溝橋事件である。双方、現地解決・事件不拡大方針で交渉 […]
大東亜戦争は、コミンテルンのスパイによる暗躍が引き起こしたとよく投稿してゐる。 もっと根本を言へば、「我が国を計画経済体制にしたい」勢力が、「我が国も敗戦革命が必要だ!」と表向きは詭弁を重ねて扇動し、戦争を起こしたのであ […]
(※実のところ、以下の記事は中川八洋氏の史観を其の儘、転載しただけのものなので、多少なり偏ってる部分もあり、注意が必要ですが、一資料として考察する余地はあると思ふ。)↓ 日本では、近衛文麿総理のさらなる強行によって、九月 […]
日本は、近衛文麿首相(過激マルキスト)の強引なリーダーシップのもとに1941年7月2日に早々と「対英米戦を辞せず」(「情勢ノ推移ニ伴フ帝國國策要項」)を御前会議で決定してゐた。英米の衝突を不可避としてしまふ、「南進」その […]
熱烈に共産主義を信奉する尾崎秀実は、レーニンの敗戦革命論を共有してをり、第二次世界大戦は、その「戦争に破れ或いは疲弊した側から初めて多くの社会主義国家を生む」(1942年2月14日訊問)と考へ、だから第二次世界大戦を助長 […]
盧溝橋事件から1ヶ月の1937年8月、陸軍は、参謀本部次長の多田駿(中将)や同作戦部長の石原莞爾(少将)ら、不拡大派がまだ主流であった。 この為、日支事変は北支に限定されてゐた。そこでスターリンとしては、支那の國民党政府 […]
大東亜戦争はおろか、第一次世界大戦、第二次世界大戦においても、「レーニンの敗戦革命論」をある程度理解しないと、真相を暴けない。 [レーニンの敗戦革命論] 1)帝國主義國家同士を謀略でもって、お互いを戦争させる。 2)戦争 […]
先に日独伊三国同盟について少しだけ触れておく。 日独伊三国同盟とは。 日独伊三国同盟が「反英米」なのは明白だが、問題は、それが「反英米 + 親ソ」なのか、「反英米 + 反ソ」なのか、はっきりしない事にあった。 1939年 […]
GHQの占領政策には、実は前期と後期で違ひがある。前期は、ホイットニーら共産主義者が牛耳る日本共産主義化計画、後期は、ウィロビー陸軍少将がマッカーサーに秘密報告を齎し、反共に転じた。此れにより1950年、日本共産党は非合 […]