陸軍省戦争経済研究班(秋丸機関 陸軍省主計課別班) ~調査報告書「英米合作經濟抗戦力調査(其一)」~ 皇紀2683年

 大日本帝国陸軍は、昭和十四年秋、我が国の最高頭脳を集めた本格的なシンクタンク「陸軍省戦争経済研究班」をスタートさせた。我が国に経済国力が無い事を前提として、対英米の総力戦に向けての打開策を研究する為である。開戦の凡そ二年前の事だ。
 「陸軍省戦争経済研究班」の設立は、正式には、昭和十五年とされてゐる。「陸軍省経理局長の監督の下に次期戦争を遂行目標として主として経済攻勢の見地より研究」することを目標として掲げ、「陸軍省軍事課、軍務課、主計課、参謀本部第二課及第二部は之が研究に協力し、その成果を陸軍大臣に報告し、参謀総長に通報するものとす」と決められてゐた。

 「陸軍省戦争経済研究班」は、「秋丸機関」とも呼ばれた。その理由は、岩畔豪雄大佐の意を受けて、秋丸次朗中佐が班を率ゐたからである。班は、対英米総力戦に向けての打開策を研究すべく、我が国の最高頭脳を集める必要があった。戦争経済研究班長たる秋丸中佐は、当時最も進歩的と言はれる多くの経済学者を、学派や立場に拘はらず集め始めたのである。
 秋丸中佐は、「陸軍省戦争経済研究班」の組織の中で最も重要な位置づけとなる英米班を立ち上げるにあたって、治安維持法違反で検挙され保釈中の身であった、マルクス経済学者で東京大学経済学部助教授の有沢広巳を主査に招いた。繰り返すが、有沢は治安維持法違反で検挙され保釈中、かつ東大も休職中の身であった。彼は、コミンテルンの反ファシズム統一戦線の呼びかけに呼応して日本で人民戦線の結成を企てたとして、労農派系の大学教授・学者グループの一員として検挙されてゐた。
 有沢広巳は、抑々は統計学を専攻し、続いてマルクス経済学部へと進んだ。然し乍ら、有沢広巳は、単に概念を弄ぶ類のマルクス経済学者ではなく、統計を駆使して数字での実証を非常に重視してゐた。さらに、近代経済学に造詣が深く、国際経済や世界経済にも通じてゐたのである。
 秋丸中佐は、総力戦に備へて陸軍が創設した派遣学生制度により東京大学経済学部に三年間在籍してゐた。実は、その間、有沢広巳の統計学の講義を聴講し、その卓越した学識に感動してゐたのである。

 有沢広巳は、昭和十二年七月七日の支那事変勃発後、国防経済に関する名著『戰爭と經濟』を出版し、大増刷の好評を博してゐる。この『戰爭と經濟』では既に、七大強国の資源自給率分析、鉄・石炭・石油等の資源戦略、大英帝国や国際金融資本・国際石油資本と英本国との資源力の違いへの着意等、後の「陸軍省戦争経済研究班」での各国経済抗戦力調査の下地となる思考が披露されてゐる。
 さらに、同書では、資源自給率が低く工業力の小さい当時の日本の苦境、ドイツの第一次大戦下の統制経済や、原料や食料の最大限の自給体制確立を果たしたナチスドイツの国防経済政策の成功の詳細な分析等も行ってゐる。
 この有沢広巳が、「陸軍省戦争経済研究班」の実質上の研究リーダーであった。有沢広巳の前半生は、まさに「総力戦」と真正面から向き合ったものだった。

 「陸軍省戦争経済研究班」では、有沢広巳を始めとして、有能な経済学者を総動員し、英米の経済抗戦力を測定する為の戦争シミュレーションを実施した。

日米戦における経済抗戦力推移イメージ

(図壱: 林千勝著 日米開戦 陸軍の勝算 55頁)

その目的は、英米に勝つ為の、英米の弱点を突く事によって英米との間で一旦の講和に持ち込む為の、具体的な戦略の策定であった。
 そしてこの戦争シミュレーションを実施するにあたって、経済抗戦力についての深い考察を行った。この考察は、「陸軍省戦争経済研究班」の調査報告書「英米合作經濟抗戦力調査(其一)」(昭和十六年七月)の序論に記載されてゐる。なお、「英米合作」とは、米国が英国を軍事的・経済的に支援・援助するといふ意味で両国を一体として捉へる概念である「陸軍省戦争経済研究班」の研究におけるキーワードだ。

 ところで、この最も重要な一次資料「英米合作經濟抗戦力調査(其一)」は、ガリ版刷りで百四十頁余に及ぶ分厚い報告書である。現在、そのうちの一冊が発見されてゐて東京大学経済学図書館に貴重図書として所蔵されてゐる。幸ひにも、この「英米合作經濟抗戦力調査(其一)」の全頁を、東京大学経済学図書館・経済学部資料室のデジタルアーカイブで誰でもネットで自由に閲覧できる。百聞は一見に如かず、皆様もどうか一度お試し下さい。

 次回以降に、日本軍のインド洋での作戦を含む西進思想について纏める。

「英米合作經濟抗戦力調査(其一)」の判決部分の文章 ~大東亜(東アジア)戦争~

※参考文献
  • 「林千勝著 日米開戦 陸軍の勝算」
  • 林千勝著 日米開戦 陸軍の勝算

Be the first to comment

Leave a comment

Your email address will not be published.


*