大東亜戦争とは? 其の4 [東亜新秩序]

熱烈に共産主義を信奉する尾崎秀実は、レーニンの敗戦革命論を共有してをり、第二次世界大戦は、その「戦争に破れ或いは疲弊した側から初めて多くの社会主義国家を生む」(1942年2月14日訊問)と考へ、だから第二次世界大戦を助長させなければならないといふ信念を持ってゐた。
尾崎は、「東亜新秩序」と呼んだ東アジア全域の共産化をビジョンとし、支那の共産化は、彼らにとって、その一翼を担ふものであった。
近衛の「東亜新秩序」、それは荻窪会談「1940年7月19日」でも明らかになったやうに、支那から英米を排除する事、つまり英米をバックとしてゐた蒋介石(国民党)政権を消滅させる事であり、即ち支那共産党による支那全土制覇を意味してゐた。近衛の「東亜新秩序」も、その第一段階は支那の共産化であり、やはり尾崎と同一のデザインをしてゐた事になる。
近衛の「東亜新秩序」がまた、共産主義のロシアだけを例外として、自由主義の西洋列強全てを東アジアから武力を以てしても追放する事であった事は、先述の事柄と合はせると、共産化された支那と共産ロシアがアジアに君臨する事が、「東亜新秩序」といふ言葉の正しく意味するものだといふ事になる。
だから近衛らにとって、この「東亜新秩序」が実現する為にも(英米系の蒋介石(国民党)政権が打倒されるまで)支那事変は継続されねばならないし、これを妨害する英米をアジアから追放する為にも英米との戦争もしなければならないのである。
大東亜戦争(八年戦争)とは、尾崎秀実らがデザインした「東亜新秩序」といふスローガンに秘めた、東アジア全体の共産化の為の戦争であった。これが歴史の真実である。
つまり、毛沢東を支援して支那を共産化するこの軍事的進出の目的こそ、先に糾弾されるべきである。
真に糾弾されるべきは、アジアの共産化を考へてそれを巧妙にカムフラージュして國家と國民とを戦争に誘ひ込んだ特定の人物(政治家、ジャーナリスト、学者、軍人)や新聞・雑誌である。またこれらの人物に国民や官僚を煽動し洗脳する手段を提供した「朝日新聞」や「中央公論」等のマスメディアである。
敗戦後、近衛文麿と尾崎秀実に関して、「美化」と歪曲が精力的に為され、彼らの実像が歴史の闇に消されてその虚像だけがまかり通ってきた。この人為的な「歴史の偽造」の理由が「八年戦争」の真実を隠蔽する為であるのは明らかだらう。
近衛文麿と尾崎秀実に関する正しい研究は、「八年戦争」の大敗北の真実を明らかにするに、優先されるべき課題である。
「八年戦争」を真に反省するのであれば、「八年戦争」そのものによって樹立された中共(支那共産党政権)を倒壊させる事それ以外はない。
冷戦の終焉がソ連の倒壊によって達成されたやうに、「八年戦争」の終結は、中共政権の倒壊で真に初めて達成される。別な表現をすれば、中共が存続してゐる限り、「八年戦争」は終ってゐない。
また、支那事変は日本に非があると日本を糾弾する立場に立脚するならば、それは支那を1937年の支那事変以前に戻す責任を果たす事であり、支那を1937年時の国家である中華民国に戻す事を意味する。日本の支那に対する戦争責任とはこれであって、これ以外ではない。

レーニンの敗戦革命論

尾崎秀実の手記を読めば、第二次世界大戦の真相が見えてくる

大東亜戦争とは何だったのか

※コミンテルンのスパイが対英米戦争を決断したその理由、つまり戦争目的は、次の三つであつた。
一、英米との戦争によつて日本がソ連に開戦する選択肢を完全に潰し、「共産主義の祖国」ソ連を防衛する事。
二、「自由主義の国」英米をアジアから追放する事。
三、日本を敗戦に追ひやり、(1917年のロシア革命と同様に)日本に共産革命の土壌をつくる事。

※参考文献
  • 「中川八洋著 近衛文麿の戦争責任」
  • 「三田村武夫著 大東亜戦争とスターリンの謀略」
  • 「中川八洋著 山本五十六の大罪」

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