大東亜戦争とは? 其の2 [レーニンの敗戦革命論]

大東亜戦争はおろか、第一次世界大戦、第二次世界大戦においても、「レーニンの敗戦革命論」をある程度理解しないと、真相を暴けない。

[レーニンの敗戦革命論] 1)帝國主義國家同士を謀略でもって、お互いを戦争させる。
2)戦争当事國を疲弊させ、戦争による不満を充満させ、國家元首と國民を離間させる。
3)敗戦國はモラルも一気に低下し、國家元首が窮地に立たされる事で、追ひ落としが可能となる。
4)共産主義による新たな希望を持たせる宣伝活動と、謀略、時には暴力をもって國家元首を追ひ落とし、新たな共産主義國家を建國する。

※参考: 敗戦革命

レーニンは、「我々革命的マルクス主義者は、どちらが勝たうが大した違ひはないのだ。至る所で帝國主義戦争を内乱に転化するやう努力する事が、 我々の仕事なのだ」と述べてゐる。
コミンテルン(レーニンが設立した共産主義政党による国際組織)32年テーゼに於いては、二段階革命戦術を採った。
即ち、帝國主義通しで戦争を起こさせ、敗戦或いは疲弊させ、内乱たらしめ、ブルジョア民主革命を完成させ、そのブルジョア民主革命の進行過程に於いて、プロレタリア共産革命へと移行させる戦術を採ったのである。
それは、第一次世界大戦の際に行はれたロシアのケレンスキー三月革命(ニコライ二世退位。ブルジョワ臨時政府が成立)と、ボルシェヴィキ十月革命 (三月革命で発足したブルジョワ臨時政府が倒され、ボルシェヴィキ政権樹立)の方式を採用したものである。
この新しい綱領を理解し得た日本の共産主義者は、戦争反対闘争から、戦争を敗戦革命への方向に戦術転換した事は云ふまでもない。
さて、ソ連のスパイ近衛文麿首相は、「国民政府(蒋介石)を対手とせず」声明を発表した。
これは、交渉、或いは交戦してゐる相手國政府を「政府と認めない」とするものであり、即ち如何なる外交と雖も交渉そのものが成り立たない事を意味する。
つまり、講和条約(戦争終結)を結べなくして、日支事変を永遠に継続させる事、これが近衛の執念をかけた狙ひだった。
近衛が、「国民政府(蒋介石)を対手とせず」声明を慌てて発表したのは、その五日前の1938年の1月11日に御前会議で日支和平が決定されたからである。盧溝橋事件からまだ半年しか経ってないこの頃までは、陸軍では支那事変に積極的に反対する者と、支那事変を疑問視する不拡大派がまだ多数で主流だった。
だから陸軍参謀本部は、ドイツの仲介による早期講和(トラウトマン和平工作)を定めた「支那事変処理根本方針」を、昭和天皇が御臨席される國家の最高意決定機関である御前会議の決定に持ち込むのに、成功したのである。
そこで和平潰しに執念を燃やす近衛文麿は、第一段階として、閣議で和平交渉の打ち切りを決定して(1月14日)、この三日前の御前会議の決定を覆した。昭和天皇のご意志でもある御前会議の決定を無視し、次に、その潰しを公然とやってのけたのである。
次の第二段階として、近衛は二日後の1日、内外に衝撃的な発表をして、国際的に既成事実にしてしまった。それが、「国民政府(蒋介石)を対手とせず」声明であった。これによって御前会議が決定した「支那事変処理根本方針」は完全に有名無実の反故となってしまった。
しかも、これに加へてさらに二日後の18日、この「対手とせず」は「蒋介石政権の否認」といふより、「蒋介石政権を抹殺する」事の意味だとの解釈をわざわざこれまた政府声明として内外に発表した。
明治維新以来、戦前の日本で、御前会議の決定を数日を経ずして平然と無視してこれを反故にした者は、近衛文麿たった一人しかゐない。

要するに近衛首相は、講和条約(戦争終結)を結べなくして、日支事変を永遠に継続させる事により、ソ連の云ふ通りに、日本軍と蒋介石国民革命軍を疲弊させる事で、敗戦革命(社会共産主義革命)へと運ぶ事を企んでゐたわけである。
スターリンの手先(毛沢東&近衛文麿) vs 蒋介石。お互い(日本軍と蒋介石国民革命軍)を疲弊させ、日本敗戦後、毛沢東共産党軍が蒋介石国民党軍を破り、蒋介石国民党は台湾に移り、支那大陸は現在の共産党支配となり、中華人民共和国が成立した。毛沢東が親日なのはこの経緯の為なのだ。だから現在の支那共産党は、我が國と戦争してゐない。寧ろ近衛政権と毛沢東共産党は仲間だったと云へるのだ。
然し中共は、反日。理由は、支那共産党は、共産党を正当化させる為に、反日を道具として利用してゐるからである。

レーニンの敗戦革命論

尾崎秀実の手記を読めば、第二次世界大戦の真相が見えてくる

大東亜戦争とは何だったのか

※コミンテルンのスパイが対英米戦争を決断したその理由、つまり戦争目的は、次の三つであつた。
一、英米との戦争によつて日本がソ連に開戦する選択肢を完全に潰し、「共産主義の祖国」ソ連を防衛する事。
二、「自由主義の国」英米をアジアから追放する事。
三、日本を敗戦に追ひやり、(1917年のロシア革命と同様に)日本に共産革命の土壌をつくる事。

※参考文献
  • 「中川八洋著 近衛文麿の戦争責任」
  • 「三田村武夫著 大東亜戦争とスターリンの謀略」
  • 「中川八洋著 山本五十六の大罪」

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