支払猶予令は、「支払延期及手形ノ保存行為ノ期間延長ニスル勅令」といふタイトルで公布されたモラトリアム勅令の事で、施行日より向かう三週間(五月十二日まで)、私法上の金銭債務の支払を延期するといふ内容をもつものであった。したがって、銀行はこの期間預金払戻に応ずる義務を免ぜられたのであるが、たゞ一日五百円以下の払戻には応じねばならなかった。
政府は緊急勅令によるモラトリアムの実施を決定したが、勅令は枢密院の承認を必要とするので、台銀救済勅令の否決(日銀が期間限定で台銀に対し無担保にて特別融資を可能にする勅令案。※前回の記事参照)といふ経験もあり、また、この間に世間が耳にすることあれば、到底収拾がつかない混乱に陥るであらうと憂慮し、市中銀行に対し、自主的な休業を懇請した。銀行はこれを応諾し、廿二日、廿三日の両日臨時休業し、政府は、廿二日に勅令を公布、即日実施することになった。即ち、支払猶予令は、四月廿二日枢密院にはかられ、即日可決され施行されたのである。
これは、全国的な銀行取付が発生した為である。
四月十八日、台湾、近江の両銀行が、休業を発表すると、全国的に預金者は貴賤を問はず銀行に殺到、各銀行は日銀から借入を増やし手許資金を厚くしてそれに備へた。
かくて、貸出、発券ともに旬日の間に事前の倍近く膨張したので、日銀は制度上ではなく、物理的に市中の資金需要にこたへることが不可能となる恐れが生じた。つまり、在庫日銀券が需要に応じえなくなってきたのである。焼却すべき古紙幣はいふに及ばず、裏面空白の券まで動員しなければならなかった。まさに我が国の金融制度は崩壊寸前にあった。
かくして銀行はモラトリアム準備として、一斉に自主的休業を行ふを余儀なくせられ(廿二日、廿三日)、政府はついに四月廿二日、世界でも珍しいモラトリアムを断行した。この措置が講ぜられなかったら、また一日遅れただけでも、全国で暴動が発生し、過半の銀行が破綻に陥ることになったであらう、と云はれてゐる。
支払猶予令たるこの勅令により、さしもの猛烈な取付騒動は鎮圧され、信用危機は回避された。銀行制度の瓦解は免れえたのである。
ところで、支払猶予令は、三つの勅令からなってゐる。しかし此処からは、次回に譲りたい。
- ※参考文献
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- 「高橋亀吉、森垣淑(著) 昭和金融恐慌史」
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