アメリカの地政学 ~スパイクマンによる西半球からの東半球包囲網~ 皇紀2680年

 スパイクマンは、モンロー主義の対象となる西半球の全体を、実際の戦略的な環境に即してほゞ三つの主な地域に分けた上で、改めて其々の防衛上の特性を考へることにした。簡単に云へば、その第一は北米の大陸であり、第二はパナマを含むカリブ海の周辺地域であり、第三はブラジルより南の、つまり南米大陸の本体ともいふべき部分である。そして、これにさらに其々、太平洋と大西洋の両側から見た考察が加はる。

 アメリカにとって幸ひなことに、南北両米大陸の太平洋岸は、いづれも南へ行けば行くほどアジアとの距離が段々に開いてゐる。従って、少なくともアラスカからペルーに至るまでは、アメリカが単独でも防衛が可能であり、それ以上南については事実上全く心配がないといふことだった。
 ところが一方、大西洋の側については、事はさう簡単に考へられなかった。太平洋側の作戦正面が、云はば単一的であるのに反して、こちら側は、北米に対するにヨーロッパ大陸、そして南米に対するにアフリカ大陸といふ風に、単純に見積っても、其々防衛の主体を異にする二つの大きな正面に分かれてゐる。そして、その中間には、地政学者達が”アメリカの地中海”と呼んでゐるカリブ海があって、此処に敵の進入を許すことは、とりもなおさず南北両大陸が分断される結果を意味する。
 それにさらに具合が悪いことには、ブラジルの領土が大西洋側に突き出た端のナタルのあたりは、マイアミとイベリア半島の突端とから、其々ほゞ同じ距離にある。従って、進出の容易さといふ点からみれば、敵味方にとって甲乙は無いわけだ。その意味でナタルから南の大西洋側は、防衛の可能性からみて等距離ゾーンと呼ばれた。これは、単に作戦の都合上だけでなく、政治思想の面でも、またヨーロッパと北アメリカの双方から等距離だといへる。
 それから今一つ太平洋側と違ふ決定的な特徴は、大西洋の側では、其々の大陸間の距離的な近さと、また島嶼の配置の関係から、航空兵力を主体とする攻防の作戦が互ひに可能だといふ点にある。その理由からして、もしもヨーロッパ大陸ばかりでなく、さらにアフリカの大西洋側にある重要な拠点(例へばセネガルのダカール等)が敵の手に落ちた場合には、とりわけ南米大陸が、直接その制空権下に入りやすくなる。つまり要約すれば、全体として大西洋側では、艦隊決戦よりも、むしろ航空作戦に多くの比重がかかるだらう、といふことがいへた。

 また、スパイクマンの同僚でアメリカ外交史の大御所だったS・F・ビーミスも指摘してゐるやうに、北米と南米とのあいだの距離は、アジアとヨーロッパ、乃至はこれら両者とアフリカとの距離よりもさらに遠い。これは、単に地理的な意味においてさう云はれるだけでなく、スパイクマンの考察によれば、一般に南米の諸国民は精神文化の面においても、アングロ=サクソン系の北米よりは、むしろ旧ヨーロッパ大陸の国々との連携を強く求めてきた。これは、移民の構成からしても、蓋し当然な話である。

 スパイクマンは、かつてマッキンダーが予想した通り、ナチスの最終的な意図は、その生活圏を文字通りスカンジナビア半島の北端のノードカップからアフリカ最南端の喜望峰まで拡大することにあるとみた。


図(A): スパイクマンの原著に示された西半球による東半球包囲網の概念図 曽村保信著 地政学入門 168頁
図(A): スパイクマンの原著に示された西半球による東半球包囲網の概念図
(曽村保信著 地政学入門 168頁)
従って、もしも西半球の共同防衛計画が成り立たないとすれば、戦争の決着はどのみちヨーロッパの大陸でつけるしかないといふのが、その率直かつ明快な結論だった。
 また石油や錫、ゴム等の重要資源についても、両米大陸だけでは国防上の需要をまかなひきれないといふのが彼の観測であり、その点からみても、西半球の防衛といふ観念は結局において成り立たないとみた。

 さて、スパイクマンが云はうとした主旨を要約すると、凡そ次のやうになる。


図(B): S.B.コーエンが、某著書内で修正した概念図 曽村保信著 地政学入門 169頁
図(B): S.B.コーエンが、某著書内で修正した概念図
(曽村保信著 地政学入門 169頁)
嘗てマッキンダーは、将来ユーラシア大陸とアフリカとを同時に支配する能力を持った国が、軈て全世界を制覇するだらうといった。が、彼は、これを逆手にとって、西半球の防衛がどのみち不可能だとすれば、むしろマッキンダーがいったところのユーラシア大陸周辺の”内周の半月孤(インナー・クレッセント)”を形成する国々(スパイクマンは、これを縁辺の諸国(リムランズ))と称した)と共同して、ハートランドの勢力の拡大を抑止するほかはないだらう、といふ判断に到達したわけである。これは、云ひ方を変へれば、西半球から逆に東半球を包囲することになる。図(A)及び(B)が、その凡その概念を示したものである。
軈て、これが戦後に、ソ連に対する封じ込め政策に変貌したことは、いふまでもなからう。

※参考文献
  • 「H・マッキンダー(著), 曽村保信(翻譯) マッキンダーの地政学」
  • 「曽村保信(著) 地政学入門」
  • H・マッキンダー(著), 曽村保信(翻譯) マッキンダーの地政学

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