歴史

礼楽 ~ 伊藤仁斎と荻生徂徠 その四 ~

 伊藤仁斎の「語孟二書」に対して荻生徂徠は、「六経」を重視した。後の反徂徠の儒家達は、この「徂徠の学」を「内」を軽んじて「外」を重視する「功利」の学として非難した。前回の記事でも少し触れた事である。 「理、性、命」と荻生 […]

十一月三日 明治節 偲ぶ

十一月三日 奉祝 明治節。 明治天皇の御生誕日。明治天皇の御遺徳を偲び、謹みます。 文化の日とは、占領統治憲法公布を、祝ふ日である。十一月三日を文化の日と思ってる者はGHQ万歳とでも言っておけ。 日本男児、大和撫子は、静 […]

【二・二六】 革命主義と忠諫の志

二・二六以降を、大日本帝國憲法に欠陥があった(内閣の規定がない等)為だとする論調には、賛同しかねる。 さうではなく、大日本帝國憲法を破壊しようとした特定思想を持つ者達が戦争を利用する為に我が國を戦争にひきづり込んだのであ […]

[三・一五事件] 左翼旋風時代の出現

大正十五年六月、徳田球一がモスクワから持ち帰った指令に基づき十二月に結成された日本共産党は、かゝる猛烈な客観情勢を巧に捉へて猛烈な非合法革命闘争を展開し始めた。当時勤労階級の政党として一番左に在った「労働農民党」及び最左 […]

[島原の乱] 宗教的色彩

農民達が年貢の減免を求めて蹶起したのではない。島原の乱を主導したのは旧領主の家臣である。 キリシタン大名であった小西行長の遺臣が中心になって、その回りに有馬の旧臣も加はって、困窮した農民を糾合して蹶起した。 つまりキリシ […]

【捏造】南京事件を検証する

南京虐殺とは、支那事変における蒋介石國民党側、中華民國の戦時宣伝であった。 では何故支那中共は、南京事件を云ひだしたのか。 中華民國は、戦時宣伝として残虐行為を捏造した。ならば、支那共産党はどうであったか?やはり捏造した […]

二・二六を考察する

二・二六を、当時支配した思想、一定勢力の謀略、それに加へ、武士道の視点からもみていかうと思ふ。 二・二六の理論的支柱は、北一輝であり、栗原中尉は、「機関説的天皇より自主的天皇へ、これ昭和維新の一大目標ならざるべからず」 […]

日本人女性は、政治に向かない

源頼朝を平清盛が殺さうとしたのを清盛の継母の池禅尼が説得して助命したばかりに平家は滅びた。 豊臣秀吉が征夷大将軍ではなく、関白になった事で、豊臣家が武家といふより宮廷風になってしまった。 宮廷では、平安時代の如く、女性の […]