礼楽 ~ 伊藤仁斎と荻生徂徠 その四 ~

 伊藤仁斎の「語孟二書」に対して荻生徂徠は、「六経」を重視した。後の反徂徠の儒家達は、この「徂徠の学」を「内」を軽んじて「外」を重視する「功利」の学として非難した。前回の記事でも少し触れた事である。

「理、性、命」と荻生徂徠の『弁名』 ~ 伊藤仁斎と荻生徂徠 その三 ~

『けだし先王は言語の以て人を教ふるに足らざるを知るや、故に礼楽を作りて以てこれを教ふ。政刑の以て民を安んずるに足らざるを知るや、故に礼楽を作りて以てこれを化す。』
(弁名)

 徂徠は「礼楽」を言ふ。

『先王の道、古へはこれを道術と謂ふ。礼楽これなり』
(弁道)

 先王、即ち支那古代の聖王は、言語的な教説、或いは権力的な法制度的な規制を以てしては、人民を教化、安定させるのに不十分であると知って「礼楽」を制作し、それを以て自然の教化をはかったのであると。そして「礼楽」とは先王の立てた「道術」であると徂徠は言ふ。

『古へは道これを文と謂ふ。礼楽の謂ひなり。物の相雑はるを文と曰ふ』
(弁道)

 先王の立てた道が「礼楽」だといふのは、道とは抑々「文」であり、「文」とは「文化」「文華」の語を構成する「文」であるが、ここでは「文采」即ち「あや」をなすやうにして構成される「道」を暗喩してゐる。「文」によって構成される「道」が「礼楽」である。この包括する「道」が、先王の制作といふ契機によって外在化され、客観化され、また分節化されたものが「礼楽」だと徂徠は言ふ。

 先王の制作する「礼楽」は、「教化論/学習論」を基礎にしてゐる。「学の方は、習ひて以てこれに熟し、黙してこれを識る。」とは、言語、知識による「内的理解」とは異なる、身体的な体得、乃至身心一体的な習熟といふいはば「外的習得」としての学習をいってゐる。その学習による方が事物の理解にあたって人ははるかな深部に達する理解を得るだらうと徂徠はいふ。子安信邦氏は、この徂徠の「学習論」についてこのやうに述べてゐる。『この徂徠の「学習論」は、「人間的な自然」についての一定の把握に立ったものだといふべきであらう。ここでの「人間的な自然」とは、儒家にあって「性」の概念でいはれる人間に於ける天賦の所与性(自然性)を指してゐる。但しこゝで徂徠「教化論/学習論」の基礎に抑へられてゐる「性(自然)」とは、性理学(朱子学)に於ける「性」概念、即ち「身体性」から抽理された「心性」の概念としてのそれではない。寧ろ「身体性」に於いて捉へる事の方が正しい人間の所与性としての「性(自然)」である』と。朱子学では、「気質の性」といはれる。徂徠は、この「身体的自然(人間的な自然)」を、先王による「礼楽」の制作は前提にしてをり、また『中庸』の「率性の道」とは、『先王は人々の性のあり方に従って道を制作した』と、解されねばならない、といふ。

 次回は、近世後期、十八世紀中後期、即ち江戸時代中後期に於いての「反徂徠」言説の形成、そして近世後期の儒家に「物子の家言」とみなされ、「私言」と非難された徂徠の「礼楽」をめぐる言説が、明治の啓蒙とともに蘇る経緯を辿っていきたい。
 

※参考文献
  • 「子安宣邦著 江戸思想史講義」
  • 「村岡典嗣著 増訂日本思想史研究」
  • 子安宣邦著 江戸思想史講義
  • 村岡典嗣著 増訂日本思想史研究

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