易の基礎知識 ~五経の易経~ 皇紀2680年
田中恵祥氏の著作、『易経の知恵』の第一章の冒頭文には、このやうに記述されてゐる。 『 今より三千五百年前に支那で生まれ、皇帝の学問として発展してきた易は伏犠(ふっき)によって始められ、その後、周の皇帝の文王(ぶんのう […]
田中恵祥氏の著作、『易経の知恵』の第一章の冒頭文には、このやうに記述されてゐる。 『 今より三千五百年前に支那で生まれ、皇帝の学問として発展してきた易は伏犠(ふっき)によって始められ、その後、周の皇帝の文王(ぶんのう […]
元禄15年12月14日(1703年1月30日)は、赤穂浪士討ち入りの日です。 毎年12月14日に、兵庫県赤穂市で、赤穂義士祭が開催されてます。今年は第116回目です。↓ 兵庫県赤穂市で14日、第116回「赤穂義士祭」が開 […]
近世後期の儒家に「物子の家言」とみなされ、「私言」とみなされた荻生徂徠の「礼楽」を巡る言説は、しかし明治の啓蒙と共に蘇る。 【徂徠学 ~ 「物子の家言」とみなされ、軈て明治の啓蒙とともに蘇る徂徠 ~】 明治啓蒙の思想 […]
『聖教要録』に先立って編集されたのは、『山鹿語類』である。これは門人達が山鹿素行の言葉を記録し、それを分類したもので、全45巻の浩瀚なものである。文章は、和文と漢文の両方が共存し、素行自身の筆になるものも含まれてゐると […]
古文辞学。または徂徠学とは、語孟の道徳から進んで、六経によって代表される政治、文化、経済等諸汎の文化価値に赴いた点に於いて、時代的には、孔子から更に先王に遡った所に発展を見得る。村岡典嗣氏は、『徂徠学を以て仁斎学と比較 […]
伊藤仁斎の「語孟二書」に対して荻生徂徠は、「六経」を重視した。後の反徂徠の儒家達は、この「徂徠の学」を「内」を軽んじて「外」を重視する「功利」の学として非難した。前回の記事でも少し触れた事である。 「理、性、命」と荻生 […]
以前の投稿で、伊藤仁斎による「命」字の語法について説明した。 伊藤仁斎の「命」字の語法 ~ 伊藤仁斎と荻生徂徠 その二 ~ 朱子学(性理学)に於ける「命」について、今一度おさらいしておかう。 『命の一字二義あり理を以て言 […]
前回に引き続き、伊藤仁斎の「命」字の語法を考察する。 明治啓蒙の言説に蘇る荻生徂徠 ~ 伊藤仁斎と荻生徂徠 その一 ~ 『命の一字二義あり理を以て言ふものあり、気を以て言ふものあり。天に在てはこれを命と謂ふ、人に在ては […]
荻生徂徠は、明治の啓蒙の言説のうちに蘇る。徂徠は、伊藤仁斎の古義学を批判し、古文辞学を提唱した。その伊藤仁斎は、はじめ朱子学を信奉し、『敬斎』と号してゐた。しかしその後、朱子学の理と敬の思想を批判し、仁愛の倫理を説くとい […]
最近、塚本幼稚園の教育方針を、反日マスコミがいかにも反日的に偏向報道を行ってゐる。その中でも「教育勅語の暗誦」をよく取り上げ、相変はらず反日の視点で否定してゐる。私も「教育勅語の暗誦」を、毎日行ってゐるのであるが、ここ […]