中国とは自己の属する国家に対する称 ~浅見絅斎先生の「中国」の論~ 皇紀2681年

 国家には、正統があるか否かによらず、いづれの国にも独自の歴史があり國體がある。
前回の記事で、若林強斎先生が、『(浅見絅斎先生について)真に神道の根本に触れたものでなく、儒学の力を仮りて神道を説くといふものであった。』と語った事を記述したが、強斎先生の学問たる「絅斎の門人たるもの『血ノ涙ヲ流して歎』かねばならぬ」と決意させた絅斎先生の学問のうちで、「中国」の論をこの記事に纏めたい。

 近藤啓吾先生は、
『「正統」とともに自国と他国との区別が重大となって来る。此処に「中国」の論が生まれる。中国とは自己の属する国家に対する称であって、これは自己が自国の歴史のうちに生きてゐる事の自覚を示す語に他ならない。決してある特別の国を指していふ固有名詞ではないのである。此処には自国と他国との強弱大小、及び歴史の古新による比較は存しない。唯自分の属する国が、独立独歩、他の国の助けによらずして歩んできたといふ誇りのみが存するだけである。』と述べてゐる。

 浅見絅斎先生は、
『中国・夷狄といふ語がある為に漢土の書に我が国を夷狄と書してゐるのを見て、とぼけた学者が、あら口惜しや恥づかしや、我は夷狄に生まれたといふことだと嘆いてゐるが、まことに浅間敷き考へだ。同じ日月を他国の指図を受けもせずに戴いてゐる国を、漢土人が夷狄と書いたからといって、最早それをはげぬやうに思ってゐるのは、人に唾をかけられて拭はずに泣いてゐるのと同様である。』と説いてゐる。

 上に我は夷狄に生まれて口惜しい事だ、恥づかしい事だと言ってゐるのは、近世教学の祖と称せられてゐる藤原惺窩が「常に中華の風を慕ひ、その文物を見んと欲し」てゐたといひ、その門人なる林羅山が「中華に隆生して有徳有才の人と講習討論せざるは遺憾なり」といったという類をいふのであらう。此処にいう中華は勿論漢土の事であって、具体的には明朝の事である。そして当時我が国の教学を指導するものがこのやうな考へであったから、当時の学者、おほむねそれと同じ考へであったのである。

 山崎闇斎先生は、
『堯舜文武の如き漢土の聖人が攻めて来る事があったならば、石火矢ー大砲・鉄砲にてこれを打ち払ふのが、その教へに答へる道である』と語った。
絅斎先生の正統、中国の説は、実に闇斎先生の説くところを、その儘に受けたものであった。

 絅斎先生曰はく、
「大凡儒書ヲ学ンデ却ツテ害ヲマネクコト、湯・武ノ君ヲウツコトクルシカラズトイヒ、柔弱ノ風を温和ト云フ様ナルコト、イクツモアリ。ミナ儒書ノ罪に非ズ、儒書ヲ学ブモノノヨミソコナイ、義理ノキワメソコナイ也。聖賢天地ノ道ヲヒラキ、万世に示セバ、儒書の様ナルケツコフナル義理ハ云フニ及バザレドモ、学ビゾコナヘバ、加様な弊アリ。ヨク/\カヘリミキワムベキコトナラズヤ。」と。まさに万古の教訓、今日外国の書を読み、外国の文化に学ばんとするもの、肝に銘ぜねばならぬ名言である。

※参考文献
  • 「近藤啓吾著 崎門三先生の學問」
  • 近藤啓吾著 崎門三先生の學問

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