「シラス」と「ウシハク」の違ひ ~『言霊』 井上毅の遺稿「梧陰存稿」に収録~ 皇紀2683年
前回の記事↓ 井上毅 ~大日本帝国憲法の起草と教育勅語の起草、明治14年の政変における活躍~ 皇紀2682年 「天照大御神は、あなたがうしはける葦原中国(日本)は本来わが御子が知らさむ国であると仰ってますが、あなたは […]
前回の記事↓ 井上毅 ~大日本帝国憲法の起草と教育勅語の起草、明治14年の政変における活躍~ 皇紀2682年 「天照大御神は、あなたがうしはける葦原中国(日本)は本来わが御子が知らさむ国であると仰ってますが、あなたは […]
『井上毅先生』といふ49頁にまとめたこの著作は、熊本の偉人とは、で始まる。横井小楠、徳富蘇峰、北里柴三郎、この三人は、全国的にも有名な熊本の偉人であり、記念館も建てられてゐる。 しかし、肥後の偉人会顕彰会副会長の永田氏 […]
あけましておめでたうございます。 今年の初詣は、地元の神社で済ませました。 済ませたといふのも失礼かもしれないが、昨年は、菅原道眞公をお祀りする亀戸天神に、一昨年、それ以前は、靖國神社、泉岳寺など、英霊、赤穂義士と、勤 […]
奠都(てんと)とは、「都を定める」といふ意味で、平安奠都とも云はれるやうに先例があり、これまでに書かれた最も詳しい書物である『東京奠都の真相』(岡部精一著 大正六年 1917)は奠都をタイトルに用ゐてゐる。官選の歴史書 […]
前回記事で、一部分、天狗党の乱について触れた。たゞ、天狗党といっても藤田東湖が逝去された後、「激派」と「鎮派」の二派に分かれてゐた。激派とは尊攘激派の事で、安政五年(1858)八月、朝廷から水戸徳川家に下された「戊午の密 […]
皇紀2680年1月3日 あけましておめでたうございます。 (表1: 吉原康和著 21頁) 表1は、陸軍省告示など官報に発表された合祀者の人名と『忠魂史』を基に、幕末殉難者の旧藩別合祀者数ベスト数5を、参考書籍『靖国神社 […]
近世後期の儒家に「物子の家言」とみなされ、「私言」とみなされた荻生徂徠の「礼楽」を巡る言説は、しかし明治の啓蒙と共に蘇る。 【徂徠学 ~ 「物子の家言」とみなされ、軈て明治の啓蒙とともに蘇る徂徠 ~】 明治啓蒙の思想 […]
古文辞学。または徂徠学とは、語孟の道徳から進んで、六経によって代表される政治、文化、経済等諸汎の文化価値に赴いた点に於いて、時代的には、孔子から更に先王に遡った所に発展を見得る。村岡典嗣氏は、『徂徠学を以て仁斎学と比較 […]
バークは、名誉革命を、ピューリタン革命やフランス革命とごた混ぜにするのではなく、区別する必要があることをここで述べてゐる。 『旧ユダヤ人通りのこの紳士諸君は、1688年の「革命」をめぐるすべての議論において、実は、イング […]
佐久間象山は、信濃の松代藩士・佐久間一学の長男として、1811年2月28日に信濃で生まれた。 1828年、象山は佐久間家の家督を継いだ時の、松代藩主は真田幸貫である。幸貫は、真田信之から数へて八代目にあたる。 幸貫は、象 […]