「シラス」と「ウシハク」の違ひ ~『言霊』 井上毅の遺稿「梧陰存稿」に収録~ 皇紀2683年

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井上毅 ~大日本帝国憲法の起草と教育勅語の起草、明治14年の政変における活躍~ 皇紀2682年

 「天照大御神は、あなたがうしはける葦原中国(日本)は本来わが御子が知らさむ国であると仰ってますが、あなたはどのやうにお考へですか?」と。
 この問ひ掛けに出てくる「うしはける」と「知らさむ」とは何なのか、どちらも統治に関はる言葉だとは思ふが、どのやうな違ひがあるのか、さう疑問に思った井上毅は「ウシハク」と「シラス」についての調査を始める。
 そして茲に日本の國體、天皇の統治の在り方を見出すのである。

 「シラス」と「ウシハク」の違ひについて、井上毅は「言霊」といふ論文で次のやうに説明してゐる。

 「ウシハク」といふのは西洋で「支配する」といふ意味で使はれてゐる言葉と同じである。つまり、日本では豪族が私物化した土地を権力を以って支配するといふやうな場合にこれが使はれてゐる。それに対し「シラス」は同じ国を治めるといふ意味ではあるが用ゐる場合が全く違ふ。「シラス」は「知る」を語源としてゐる言葉で、天皇はまづ民の心、即ち国民の喜びや悲しみ、願ひ、或いは神々の心を知り、それをその儘鏡に映すやうに、わが心に写し取って、それと自己を同一化させ、自ら無にして治めようとされるといふ意味である。

 天皇の統治とは「ウシハク」ではなく「シラス」なのだ、と気づいた井上毅は更にそのシラスの統治が二千六百年の間変はらず続いてゐることに感動する。
 そして大日本帝国憲法の第一條に「大日本帝国は万世一系の天皇がこれをシラス所ナリ」と、一言で日本の國體を見事に書き表したのである。
(しかし残念ながらこの名分は「シラスといふ大和言葉は分かりにくい」といふ理由で「大日本帝国は万世一系の天皇がこれを統治す」に書き直された)

 また、本居宣長翁(耶蘇教暦1801年歿、72歳)は、その生涯を古事記の研究に費やした有名な徳川時代の国学者であるが、その著「古事記伝」のうちに書かれてゐる説明によれば、

うしはく:或る地方の土地、人民を、わが物として、即ちわが私有物とて、領有支配する事。

しらす:人が外物と接する場合、即ち、見るも、聞くも、嗅ぐも、飲むも、食ふも、知るも、みな、自分以外にある他の物を、わが身に受け入れて、他の物と我とが一つになること、即ち、自他の区別が無くなって、一つに溶け込んでしまふこと。

 この「うしはく」の言葉の裏には、治める人と、治められる人との両々対立する二つの人格の存在が考へられるのに反し、「しらす」の言葉の裏には、治める人と、治められる人とが、合体化合して、茲に一つの新たな人格が形成されるのである。

 建御雷神が、この二つの言葉の意味の違ひをよくわきまへてゐて、殊更にはっきりと用語の使ひ分けをした事は、誠に素晴らしい事である。而も、それが彼自身の思ひつきではなく、天照大御神のお使として、大御神のお言葉を伝達したのであるから、これは我々として看過することのできない重大な点である。実に、
「葦原の中つ国は、わが御子のしらさむ国」といふ、この一句こそ、わが国、建国の方針を明らかにした大宣伝であり、かの「君民一体」の思想も、実に、茲に胚胎するのである。

※参考文献
  • 「肥後の偉人顕彰会編 井上毅先生」
  • 「元侍従次長 木下道雄著 新編 宮中見聞録 ~昭和天皇にお仕へして~」
  • 肥後の偉人顕彰会編 井上毅先生
  • 元侍従次長 木下道雄著 新編 宮中見聞録 ~昭和天皇にお仕へして~

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