歴史

「世紀の愚策(ポーランド独立保障宣言)」をとらせたのはルーズベルト ~裏付けるポーランド政府の文書~ 皇紀2684年

 フーバーは、なぜチェンバレンがこれ程の方針転換をしたのか理解できなかった。その理由を探らうとした。 一、チェンバレンは、自分が(過度な)宥和主義者ではないとアピールしたかった。 二、英仏両国によるドイツに対する虚勢を張 […]

米国第31代大統領ハーバート・フーバーの歴史観の核とは ~同時代人が歓迎したミュンヘン協定と真の愚策はポーランド独立保障宣言~ 皇紀2683年

 耶蘇教暦1938(昭和13)年9月22日、ヒトラーは、チェンバレンとの再交渉の時に、ズデーテンラント全域の併合を要求し、これを文書にした(ゴーデスベルク覚書)。回答期限は9月28日だった。対チェコスロバキア戦争の最後通 […]

陸軍省戦争経済研究班(秋丸機関 陸軍省主計課別班) ~調査報告書「英米合作經濟抗戦力調査(其一)」~ 皇紀2683年

 大日本帝国陸軍は、昭和十四年秋、我が国の最高頭脳を集めた本格的なシンクタンク「陸軍省戦争経済研究班」をスタートさせた。我が国に経済国力が無い事を前提として、対英米の総力戦に向けての打開策を研究する為である。開戦の凡そ二 […]

東條英機大将の弁護人を務めた清瀬一郎氏の陳述 ~不法と欺瞞だらけの東京裁判~ 皇紀2683年

 「日本国憲法失効論」の著者である菅原裕氏は、実際に東京裁判で元陸軍大将荒木貞夫氏の弁護人を務めた。  この裁判に臨んだ日本の弁護人達は、次第に露呈してきた不法と欺瞞だらけの東京裁判に切歯扼腕したが、占領下の言論統制や公 […]