大東亜戦争とは? 其の5 「南進」そのものである南部仏印進駐
日本は、近衛文麿首相(過激マルキスト)の強引なリーダーシップのもとに1941年7月2日に早々と「対英米戦を辞せず」(「情勢ノ推移ニ伴フ帝國國策要項」)を御前会議で決定してゐた。英米の衝突を不可避としてしまふ、「南進」その […]
日本は、近衛文麿首相(過激マルキスト)の強引なリーダーシップのもとに1941年7月2日に早々と「対英米戦を辞せず」(「情勢ノ推移ニ伴フ帝國國策要項」)を御前会議で決定してゐた。英米の衝突を不可避としてしまふ、「南進」その […]
日本でも『旧来の陋習』が積もり積もると、皇威は失墜し、民衆は不幸となり、国は乱脈となるけれども、それが昂じると、結局は『維新』が行はれる。この『維新』の原理は、常に、肇国の祖制に復帰することである。 『維新』と『復古』が […]
熱烈に共産主義を信奉する尾崎秀実は、レーニンの敗戦革命論を共有してをり、第二次世界大戦は、その「戦争に破れ或いは疲弊した側から初めて多くの社会主義国家を生む」(1942年2月14日訊問)と考へ、だから第二次世界大戦を助長 […]
GHQコミンテルンによる占領下だから陛下にあられる統治権が通常では無い状態であり、そのやうな状態となれば摂政が置かれる。 帝國憲法では75条に明記がある。 下記のページの占領憲法無効理由4について考察する。 占領憲法無効 […]
盧溝橋事件から1ヶ月の1937年8月、陸軍は、参謀本部次長の多田駿(中将)や同作戦部長の石原莞爾(少将)ら、不拡大派がまだ主流であった。 この為、日支事変は北支に限定されてゐた。そこでスターリンとしては、支那の國民党政府 […]
1914年、6/28、オーストリア皇太子夫妻が暗殺された。第一次世界大戦の発端となった有名な事件である。 多くの高校の教科書は、犯人は、セルビアの民族主義者の一青年としてゐるが、これは歴史偽造であり、真実は、三人の犯人は […]
大東亜戦争はおろか、第一次世界大戦、第二次世界大戦においても、「レーニンの敗戦革命論」をある程度理解しないと、真相を暴けない。 [レーニンの敗戦革命論] 1)帝國主義國家同士を謀略でもって、お互いを戦争させる。 2)戦争 […]
八月革命説は、流石に論理破綻してるので、現在においてはあまり云ふ人はゐなくなった。現在ソ連製占領基本法(日本國憲法)を有効(我が國の憲法典)だと豪語する輩の理由は、「法的には無効であっても、政治的には暴論だ。戦後ずっと使 […]
先に日独伊三国同盟について少しだけ触れておく。 日独伊三国同盟とは。 日独伊三国同盟が「反英米」なのは明白だが、問題は、それが「反英米 + 親ソ」なのか、「反英米 + 反ソ」なのか、はっきりしない事にあった。 1939年 […]
ポツダム宣言受諾により革命が完成したとした売国奴宮沢俊義による八月革命説は当然論理破綻である。 革命とは国家の主権の発動によるものであるので、国家に主権の無い被占領下で革命等起こせ得ない。そもそも彼(宮沢俊義)は、当初は […]