GHQとは何だったのか?

GHQの占領政策には、実は前期と後期で違ひがある。前期は、ホイットニーら共産主義者が牛耳る日本共産主義化計画、後期は、ウィロビー陸軍少将がマッカーサーに秘密報告を齎し、反共に転じた。此れにより1950年、日本共産党は非合法化され、徳田球一も野坂参三も支那に逃亡。
併し、戦後の我が國の体制は、前期の共産主義化政策により確立されてしまひ、現在もこの体制を維持してゐる。

さて、GHQと云へば、直ぐに想像されるに、万能無制限の権力を有つマッカーサーによる指揮のもと、我が國に占領体制を敷いた連合国軍最高司令部、と浮かぶであらう。
しかし実態は、マッカーサーよりもさらに上の組織が存在した。
マッカーサーはOSSに操られたに過ぎないのだ。
OSSといふ組織を御存知だらうか?

GHQ憲法はフランクフルト学派による日本共産化のためのものだつた。

OSSとは、1942年にフランクリン・ルーズベルトにより組織された「戦略情報局」である。
このOSSには、米国共産党員、そして我が國の戦後教育を支配し続けてゐるフランクフルト学派(レーニン否定の西欧マルクス主義、つまり共産主義)の社会学者が跳梁跋扈してゐた。
フランクリン・ルーズベルトは、親ソ容共派の社会主義者で、彼の組織したOSSに巣食つてゐたフランクフルト学派の中には、根っこはマルクスと云ふ事で、OSSの中に、少なくとも20人程のソ連(コミンテルン)のスパイが存在した事が、ブェノナの記述で明らかになつてゐる。
戦前のアメリカは、戦後の反共政策とは異なり、社会共産主義者に牛耳られてゐた。
OSSは、トルーマンにより1945年に解散させられるが、其の後のGHQが、OSSの旧勢力を引き継ぎ、左派のホイットニーが民政局長についた。
マッカーサーは、GHQ内部の左派であるホイットニーやケーディスに操られ、この最中で占領憲法(日本国憲法)が作られたのである。

占領憲法と云へば、直ぐさま思ひ浮かぶのが、9条の戦争放棄であらう。
占領憲法9条は、『社会主義革命』を完成させる為には、軍隊が邪魔。と云ふ内政上の手段として、共産主義者が盛り込んだのである。
つまり、サヨクが占領憲法を平和憲法と称して必死に守りたがるのは、『社会共産主義革命』を完成させる為に外ならない。
つまり占領憲法は、フランクフルト学派が、我が國を「共産主義国」にする為の、2段階革命(民主革命 →社会共産革命)を完成させる為に押し付けた、日本解体文書なのである。
占領憲法の基本原理である、国民主権、基本的人権、平等主義は、共産主義3大原則と云ふべき日本破壊思想。
占領憲法1条は、天皇陛下を象徴と謳つてゐるが、陛下を國家元首から引きづり下ろして、国民主権としてゐる。

国民主権とは、国民が神に上り、天皇陛下を国民の下位に配置し、「民意」で國體も皇室も廃止出来る意である。
つまり陛下を象徴といふマスコットに縛り付け、傳統を錯覚させて傳統を破壊するといふ、いはばソフトに革命を完成させるフランクフルト学派そのものなのだ。
基本的人権とは、我が國の國體である「祭祀」を否定し、平等主義とは、此れは我が國を破壊する為、性別を廃止する目的のフェミニズムである。

現在我が國の戦後教育を支配してるのは、このフランクフルト学派である。
左翼GHQにより、公職追放後、共産主義者が、マスコミ、教育界、学会を支配する形にとつて変はつた。
日教組、マスコミ、学会は、フランクフルト学派の巣窟。
今もこいつ等は、2段階革命を目論み、其の為の活動をしてゐる。


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