【武士道 第四章 勇・敢為堅忍 ~新渡戸稲造、そして山本常朝~ 皇紀2681年】
新渡戸稲造著・英文『武士道』 矢内原忠雄譯、譯者序の一部である。 『 私はキリストが教へ、かつ『新約聖書』の中に伝へられてゐる宗教、ならびに心に書(しる)されたる律法を信ずる。 この著述の全体を通じて、私は自分の論 […]
新渡戸稲造著・英文『武士道』 矢内原忠雄譯、譯者序の一部である。 『 私はキリストが教へ、かつ『新約聖書』の中に伝へられてゐる宗教、ならびに心に書(しる)されたる律法を信ずる。 この著述の全体を通じて、私は自分の論 […]
仁と礼。 「仁」とは、他社を慈しみ愛する「思ひやりの気持ち」の事である。 「礼」とは、「仁(思ひやり)を態度として表す礼儀作法」の事である。 孔子は、礼(儀式、儀礼)を「仁」の気持ちを表したものだと再定義した。 「民 […]
『身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留置まし大和魂』 吉田松陰が、処刑二日前の10月25日に書き始め、翌日26日夕刻までに江戸・小伝馬町牢屋敷の中で書き上げられた「留魂録」の巻頭に綴られてる弟子宛の辞世の句である。松 […]
以前真田一族に於ける所謂「犬伏の別れ」についての記事を投稿した。 戦國乱世の武士道 ~後藤又兵衛基次と真田一族~ 石田三成や大谷吉継らが徳川家康を討つ為に大阪にて蜂起した。 西軍の石田三成に味方するか、このまま東軍として […]
行政が度を超えた腰抜けならば、軍自らが動くより他は無い。 戊辰戦争時、薩長両軍は錦の御旗を掲げ、官軍である事を示し、大政奉還へと至らしめ、軅日本軍と組織された。錦の御旗を掲げるとは、皇紀二六七六年、歴史伝統の重圧を背負ふ […]
昭和維新運動の活動家達は、明治維新の志士達を非常に尊敬し、追慕した人々が多かった。けれども、彼らの先人達への憧憬の情は強烈だったにしても、その教訓を十分にくみとったとは言ひがたい。 血盟団、五・一五等の諸事件は、桜田門の […]
高杉の行動を裏づける心情において「毛利家恩古の臣」「高杉家の嫡子」として「忠孝」の意識が根強かった。 明治維新にさきだって、すでにはやくから、封建的藩閥意識を否定した人々は少なくなかった。幕末時代の洋学者達は決して少なく […]
二・二六以降を、大日本帝國憲法に欠陥があった(内閣の規定がない等)為だとする論調には、賛同しかねる。 さうではなく、大日本帝國憲法を破壊しようとした特定思想を持つ者達が戦争を利用する為に我が國を戦争にひきづり込んだのであ […]
二・二六を、当時支配した思想、一定勢力の謀略、それに加へ、武士道の視点からもみていかうと思ふ。 二・二六の理論的支柱は、北一輝であり、栗原中尉は、「機関説的天皇より自主的天皇へ、これ昭和維新の一大目標ならざるべからず」 […]
「忠」とはそもそも真心といふ事なのだ。真心を以て主君に対するのを忠臣と称し、真心を以て友に対するを忠友と称する。 大阪落城の際に、勇名を残した後藤又兵衛基次の話をしたいと思ふ。 彼は、如水黒田孝高の子の長政に従って戦場を […]