LGBT理解増進法が、令和5(耶蘇教暦2023)年6月16日に参議院で賛成多数で可決・成立し、同月23日に施行された。
中身については、いかにも左翼論調なNHK解説委員の竹内哲哉氏の記事が以下である。
この記事内で、興味深い部分を引用する。
議論の最終盤で付け加へられた「全ての国民が安心して生活する事ができる事となるよう、留意する」といふ文言です。この背景には保守派や一部の女性から男女別トイレや公衆浴場において性の多様性のあり方に懸念があった為、不安を払拭する為に、性的マイノリティーも含む、全ての人といふ意味で文言を付け加へたといひます。
一方、差別禁止を求めてゐた少数派は、この文言に「私たちは多数派を不安にさせる存在なのか」と感じ、会見では「性的マイノリティーが国民の安心を脅かすかのやうな存在として、法案に明記されてゐる事に強い憤りを感じる」と訴へました。人権の専門家も「法律が大きく後退した」といひます。
尚、福田ますみ氏は、「LGBT差別」について、かう述べてゐる。
私は、「LGBT差別」といふ概念に意外な感を抱いた。いはゆる同性愛者に対する差別といふのが、人種差別や民族差別、女性差別等と同等に、社会問題として成り立つといふ事実にびっくりしたのだ。
突き詰めれば、単に性的志向が多数派とは異なるといふ極めて私的な問題に過ぎないのに、それを人権問題化する事に違和感を覚えたのである。端的に言ふと、差別といふ言葉になじまない気がしたのだ。
キリスト教の価値観が長く支配してきた欧米では、ソドミー法によって、同性愛者が即ち犯罪者や精神病者として扱はれてきた事から、当然彼らに対する偏見や差別も激しいものがあり、ヘイトクライムも珍しくなかった。
欧米の同性愛者達にとっては、自分達は明白にホモフォビア(同性愛嫌悪)の被害者であるといふ自覚があり、その為、自ら差別撤廃運動に立ち上がったのである。
欧米各国では現在、同性婚を合法化する国が増えてゐるが、それは欧米社会が、同性愛者をこれまでいかに差別し迫害してきたかを反省し、その贖罪意識から、急転直下、同性婚を認めるまでに突っ走った結果といへる。
同性婚に対する処遇を巡り、欧米の社会は、極端から極端へと振れ幅が大きいのだ。
翻って日本の場合、歴史を紐解いても、同性愛者を反社会的と見なすやうな法律も存在せず、従って、組織的な迫害も目立った差別もなかった。寧ろ彼らは、日本の伝統文化や芸能の中にごく自然に包摂され、しかもその中でも一際(ひときは)異彩を放つ存在であった。
例へば、美輪明宏氏やカルーセル麻紀氏等は、かなり昔からメディアに露出してきた。
文芸評論家の小川榮太郎氏も、LGBTに対して、この欧米由来の概念が胡散臭いと説く。欧米のキリスト教世界で、同性愛者はつい最近まで宗教的異端者とされ、刑事罰の対象であった。イスラム世界では、いまだに同性愛を禁じてゐる。
あのISIL(イスラム国)に至っては、見つかり次第即刻殺害されてゐたのである。
対して日本は、歴史上彼らに対してそのやうな差別は一切なく、かなり寛容であった。
その我が国に、欧米のムーブメントをそのまゝ輸入する事への疑問を呈してゐるのだ。
また、「新潮45」平成30(耶蘇教暦2018)年10月号に掲載された反論企画、「そんなにおかしいか『杉田水脈論文』」の執筆陣(ゲイの当事者2名を含む7名)の一人で、ゲイを公表してゐる元参議院議員・松浦大悟氏によれば、「国際レズビアン・ゲイ協会」は国連に加盟するに当たり、これまで共に活動してきた「米国少年愛者同盟」を切り捨てたといふ。変へられないセクシュアリティを持つといふ点では、ゲイも少年愛も同じださうだ。
つまりは、特殊な性的志向のどこまでを公に認めて支援の対象にするか、その線引きが恣意的に為されてゐるわけで、LGBTといふ概念が曖昧なまゝである事が分かる。
その松浦氏は、論文発表後、朝日新聞の取材に答へて、杉田氏の文章には間違ひもあったが、彼女を差別主義者だとは思はないと言ってゐる。
また、もう一人、ゲイをカミングアウトしてゐるかずと氏も杉田氏の主張に反対せず、LGBTのうちTの一部を除いたLGBは社会的弱者ではない、Tの一部以外は社会的支援は必要ないと書いてゐる。
当事者二人がこのやうな主張をしてゐるのである。
福田ますみ氏は、
「差別だ!」と決めつける人達が彼らの論文をどう読んだのか、是非とも聞いてみたいところである。
と記述してゐる。
- ※参考文献
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- 「福田ますみ著 ポリコレの正体」
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