[三・一五事件] 左翼旋風時代の出現
大正十五年六月、徳田球一がモスクワから持ち帰った指令に基づき十二月に結成された日本共産党は、かゝる猛烈な客観情勢を巧に捉へて猛烈な非合法革命闘争を展開し始めた。当時勤労階級の政党として一番左に在った「労働農民党」及び最左 […]
大正十五年六月、徳田球一がモスクワから持ち帰った指令に基づき十二月に結成された日本共産党は、かゝる猛烈な客観情勢を巧に捉へて猛烈な非合法革命闘争を展開し始めた。当時勤労階級の政党として一番左に在った「労働農民党」及び最左 […]
農民達が年貢の減免を求めて蹶起したのではない。島原の乱を主導したのは旧領主の家臣である。 キリシタン大名であった小西行長の遺臣が中心になって、その回りに有馬の旧臣も加はって、困窮した農民を糾合して蹶起した。 つまりキリシ […]
【多数派の暴政や衆愚政治を抑制する】 「梓弓」山岸さんの大日本帝國憲法改正案を拝借する。 [大日本帝國憲法改正案] 『 第3章 帝国議会 (「多数派の暴政」や衆愚政治を抑制する観点から、貴族院による二院制を維持し、また、 […]
改めて「維新政党・新風」の綱領方針をみると、日本の心党がへなちょこに思へてくる。 http://shimpu.jpn.org http://goo.gl/543hor http://goo.gl/UUObFS 「歴史伝統 […]
南京虐殺とは、支那事変における蒋介石國民党側、中華民國の戦時宣伝であった。 では何故支那中共は、南京事件を云ひだしたのか。 中華民國は、戦時宣伝として残虐行為を捏造した。ならば、支那共産党はどうであったか?やはり捏造した […]
「日本国憲法」は和訳であって正式名称とはいへない。正式名称は、「THE CONSTITUTION OF JAPAN」である。 CONSTITUTION OF JAPANを改正するとすれば、日本語訳に全面改定する何らかの手 […]
二・二六を、当時支配した思想、一定勢力の謀略、それに加へ、武士道の視点からもみていかうと思ふ。 二・二六の理論的支柱は、北一輝であり、栗原中尉は、「機関説的天皇より自主的天皇へ、これ昭和維新の一大目標ならざるべからず」 […]
左翼の云ふ立憲主義とは、憲法蹂躙と云ふ意味である。 戦前の左翼は、主権論(國民主権、天皇主権)を否定する大日本帝國憲法を蹂躙し、天皇主権を喧伝した。 戦後左翼は、実は英文占領憲法が無効である事を知りながら、二段階革命を起 […]
「忠」とはそもそも真心といふ事なのだ。真心を以て主君に対するのを忠臣と称し、真心を以て友に対するを忠友と称する。 大阪落城の際に、勇名を残した後藤又兵衛基次の話をしたいと思ふ。 彼は、如水黒田孝高の子の長政に従って戦場を […]
詔勅は、天命(國體)の垂迹であり、他國の軍事占領による非独立状態での強制や欺罔によつて簒奪されたものは偽勅、非勅であつて、真の詔勅たりえない。 先帝陛下もまた「天皇主権」を否定してをられた事は、当時の侍従武官長であつた本 […]