亡国文書「日支覚書」 ~化学兵器禁止条約の対象外~ 皇紀2685年

 前回の投稿記事の最後尾で、「本来、日支間に「遺棄化学兵器」問題など存在しない」との記載があったが、それでも、支那が遺棄化学兵器処理を日本に肩代はりさせる根拠とは何か?

兵器引継書

(図壱: 水間政憲著 「領土問題」の真実 121頁)

 平成7(耶蘇教暦1995)年に日本が批准した化学兵器禁止条約は、抑も「自国が所有し若しくは占有する化学兵器」の廃棄を義務づけたものであるが、支那がこだわって「他の締約国の領域内に遺棄した化学兵器」の廃棄義務が条文に盛り込まれた。ならば、前述したやうに日本軍が「遺棄した」化学兵器は存在しないのだからこの原則を通せばいいのだが、日本はさらに "亡国文書" を取り交はしてしまった。
 平成11(1999)年北京で調印された「支那における日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書」(以下「日支覚書」)がそれだ。署名者は、当時の矢野作太郎支那大使と王毅支那外交部助理(駐日支那大使)である。この第一項には「中華人民共和国内に大量の旧日本軍の遺棄化学兵器が存在してゐる事を確認した」とある。根拠のないものを「確認した」と文書で認めてしまった外務省の態度は万死に値する。
 化学兵器禁止条約批准前に、吉林省ハルバ嶺の調査に参加した日本側関係者によると、支那側は「中日友好、謝謝……」と非常に低姿勢だったとの事だ。ところが、「日支覚書」調印後は、支那側の態度が豹変したと驚いてゐた。
 それを裏付けるやうに、支那から次々と「遺棄化学兵器」の被害者が日本政府に対する国家賠償請求を日本の裁判所に提訴してきたのである。
 化学兵器禁止条約の第四項「廃棄の期限」3には「条約の趣旨及び目的に危険を齎さないと認める時は、(中略)単独の要請(中略)に基づき、廃棄に関する規定の適用を変更し又は例外的な状況において停止する事ができる」となってをり、日本単独でも変更して、停止する事ができる。さらに「日支覚書」は、条約と同等の効力などなく単なる「メモ」程度のものだ。さっさと白紙に戻してしまへばよい。何度も言ふが、日本軍は支那に化学兵器を遺棄などしてゐないのだ。

 「日支覚書」の弊害をもう一つ指摘しておく。

兵器引継書

(図壱: 水間政憲著 「領土問題」の真実 123頁)

化学兵器禁止条約で廃棄処理を義務づけられてゐない化学兵器まで廃棄処理の対象にした事だ。単なる発煙筒である「しろ剤」や殆どの砲弾に使用されるピクリン酸(黄色薬)まで含まれてゐる。
前出の南京で発掘保管されてゐる「化学兵器」を検証すると、化学兵器禁止条約の対象「化学兵器」は、3万3092発中たったの1発(きい剤<マスタード系のびらん剤>)だけなのにもかゝはらず、覚書によって発煙筒や砲弾のほゞ全てが「化学兵器」になってしまふのだ。

※参考文献
  • 「水間政憲著 いまこそ日本人が知っておくべき「領土問題」の真実 国益を守る「国家の盾」」
  • 水間政憲著 いまこそ日本人が知っておくべき「領土問題」の真実 国益を守る「国家の盾」

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