非義務的米軍駐留経費の負担 ~「思ひやり予算」と金丸信~ 皇紀2684年

 自民党政権の利益誘導・斡旋利得政治の安保版とも評すべきものが米軍の駐留経費(米国が言ふところのHNS=ホスト・ネーション・サポート)中の非義務的経費の負担である。これを「思ひやり」と銘打って昭和53(1978)年に始めたのが、当時防衛庁長官だった故金丸信氏(戦後日本の最もダーティな政治家の一人)であった事は、決して偶然ではない。
 今(執筆当時。平成13(2001)年頃)では日本政府による負担分は、米軍駐留経費総額の約五割(計算の仕方によっては六割以上)、3000億円弱にも達してゐる。このうち日本政府が条約上負担する事とされてゐる経費(義務的経費)は、基地用地(水域を含む)の無償使用に関はる私公有地の借り上げ料(地代)、住宅の防音工事等の防衛施設周辺対策費、提供施設の移転費等であり、全体の三割程度に過ぎない。凡そ米軍が駐留してゐる世界の国々の中で、非義務的経費等までも負担してゐるのは、日本だけである(韓国も若干負担してゐるが、これは、隣国の日本がやってゐるからと言はれ、やむなく付き合はされ始めた経緯がある)。

 なぜ日本だけなのか?
それは、A国が、A国内に駐留するB国軍のこのやうな経費を負担するといふ事は、AがBの被占領国であるか保護国である事を意味するからだ。日本は先の大戦における敗戦の後、連合国の占領下に置かれ、「終戦(停戦)処理費」といふ名目で米軍等の全駐留経費を負担させられた。講和がなった昭和27(1952)年からは、(旧)日米安保条約が米国による日本保護国化条約であるとの日米双方の認識のもとで、駐留を続けた米軍の(義務的経費の全部のみならず)非義務的駐留経費の一部の負担を日本は継続させられた。これが「防衛支出金」であった。そして、岸信介首相が職を賭して昭和35(1960)年に締結した新しい安保条約によって、つひに日本は非義務的米軍駐留経費の負担から完全に免れたのである。

 ところが、この歴史の歯車を巻き戻したのが、愚かな金丸氏であった。
 きっかけは、日本の対米経済力の相対的向上に伴ひ、為替レートが円高に推移し始め、ドル建てで高騰した駐留米軍の日本人基地従業員の給与を米軍が支払ふ事が困難となり、従業員の解雇が避けられなくなる事だった。元々、吉田茂は総理時代、社会党にまで手を回し、与野党が足並みを揃へて米国の日本再軍備要求を拒否し続けたのだが、「吉田ドクトリン」を奉じる自民党の重鎮・金丸氏は、全駐労即ち社会党の意向を汲んで雇用といふ経済問題に対処する為に、亡国的な対米工作を行った事になる。
 何よりも問題なのは、これが国を売る行為であっただけでなく、国を売るやうな政権を戴く日本といふ国に対し、米国に拭ひ難い不信感、侮辱感を植ゑ付けた事である。

 抑々米国は、一万名にのぼる英領アメリカ駐留英軍の駐留経費の一部(最大四割程度)を植民地側に負担させる事を目的として、英国が制定した砂糖条令(耶蘇教暦1764年)、印紙条令(1765年)、さらにこれらに代はって制定されたタウンセンド法(1767年)に基づく諸税への怒りを端緒として、英領アメリカのうちの13州が対英戦争を行って勝ち、英国から独立してできた国である。租税制度を決定する英国議会に代表を送ってゐない(といふより空間的距離の大きさから代表を送る事は不可能であった)英領アメリカは、英国とはあくまでも別個の存在であり、英軍の駐留経費を賄ふ為の税金を負担する事は英領アメリカが英国に隷属する事を意味するがゆゑにこれに反対し、英国から完全に分離独立するに至ったといふ事なのである。

 このやうな米国の成り立ちに関はる経緯=「国是」に照らせば、自ら他国に隷属する事を潔しとする日本のやうな国は、米国から見て理解不能な国、異質な国といふ事になる。だからこそ、駐留米軍の経費負担を増やせば増やす程、米国はリップサービスはしてくれるであらうが、日本に対する不信感、侮辱感を必然的に募らせていく事になるのである。

 太田述正氏は、「防衛庁再生宣言」たる著作の第二章で、「思ひやり予算」の減額・全廃を主張されてゐる。この内容は、次回以降に纏めたい。

※参考文献
  • 「太田述正著 防衛庁再生宣言」
  • 太田述正著 防衛庁再生宣言

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