憲法と法律の秩序 ~帝国憲法か?不文憲法か?~ 皇紀2681年

 6月11日、改正国民投票法が、参院本会議で与党などの賛成多数で可決、成立した。しかし、以前から日本国憲法無効論を基調に、「憲法の下に位置する法律によって憲法典の改正手続きを履行する事は不可能である」と云はれてきてゐる。至極当然であるが、今日は、此れ又以前投稿した内容ではあるが、日本国憲法(法的に無効な占領憲法)と大日本帝国憲法(法的に有効な正統憲法)との、根源的相違点を明示したい。

 それは、占領憲法に記載されてる「公共の福祉に反しない限り」、又一方で大日本帝国憲法(以下、帝国憲法)では、「日本臣民は法律の範囲内に於て自由を有す」となってをり、帝國憲法第七十六条一項に、「此の憲法に矛盾しない現行の法令は総て遵由の効力を有す」とある。
 詳説は、以前の投稿記事である、【公共の福祉といふ欺瞞: ハイエクに学ぶ】を参看頂きたい。

 要は、占領憲法での「公共の福祉に反しない限り」とは、その規定が不明確であるがゆゑ、時の為政者次第で如何様にも解釈が可能になってしまひ、極論、自由を都合で制限出来てしまふ。
 方や、帝国憲法下では、「法律の範囲内に於て自由を有す」であり、此処を戦後左翼勢力は、「法律さへ拵へれば幾らでも自由を制限できる。だから、日本国憲法は人権擁護の素晴らしい憲法で、帝国憲法は、独裁憲法だ。」の如き主張を繰り返してきた。

 その一方で、抑々、日本は伝統国家なので、英国のやうに成文憲法は必要なく、不文憲法でよいのでは?と云ふ論説もある。
成文憲法と不文憲法、乃至英国憲法についての説明は割愛するが、此処で話を帝国憲法下に於ける、「法律の範囲内に於て自由を有す」に戻す。

 上記にある戦後左翼の主張が曲解である事は、既に以前の投稿で述べたが、もし不文憲法で国を運営していく場合、その不文法の一部を文字化した帝国憲法第一條~第四条までを、憲法典の條文無しに日本人の本能で内在的に遵守し、その下で法律案を作成していき運営される。
 つまり不文憲法下とは、帝國憲法第七十六条一項の、「此の(不文)憲法に矛盾しない」範疇の「法律の範囲内に於て自由を有する」事と何ら変はりないのである。

 とはいへ、帝国憲法も文字化されてる限りは成文憲法である。成文憲法の弊害として、時の政府がその條文の正しい解釈を捻じ曲げて全体主義化を謀る事は、例へばナチスによるヴァイマル憲法の曲解など、歴史上前例がある。
 我が国でも戦前戦中では、帝国憲法の條文を曲解させた例がある。この詳細は次回以降に譲るが、いづれにせよ、客観的に日本国憲法は法的に無効であるので、その無効を過半数議決によって確認すれば、同時に帝国憲法と正統な明治皇室典範、即ち政務法体系と宮務法体系の復元が為される事は事実である。

 従って、たとひ不文憲法の方が我が国に向いてると判断したいとしても、手続き上、一旦は帝国憲法たる成文憲法が復元されるので、不文が良いか?将又、成文を運用していくか?の公式な決断は、帝国憲法の復元後にならう。

※参考文献
  • 「伊藤博文著 帝國憲法 皇室典範義解」
  • 伊藤博文著 帝國憲法 皇室典範義解

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