直系と傍系 ~皇位継承の歴史的事実~ 皇紀2679年

 皇統に関し、「女系」肯定論といふ歴史的誤謬を論ずる勢力がある。無論、臣民ごときが皇統に口出しする事自体が歴史的誤謬なのだが、その一つに、「男子出産の期待が過度な負担を強いる」と云ふのがある。
ここで確認しておきたい議題は、『直系主義と傍系主義』である。尚、皇統に際し、主義なる表現を使用するのは畏れ多い事といった思考もあらうが、この点は敢へて気にせず、歴史的事実を辿る事にする。

 「女系」肯定論を展開する皇統破壊勢力は、「男系主義は男子を生むことを皇后に強要し、過大な精神的負担を負はせる」と云ふ主張をする。しかし、それは自分の子供に跡を継がせなければならないとする「直系主義」の弊害である。自分の子供に継がせなければならないと思ふから、生まれないと苦しむ。しかし、皇室は是が非でも自分の子供に皇位を継がせなければならないといふ直系主義には立ってゐない。皇統に属してさへをれば、何世代遡っても正統だと考へる。この男系継承の考へ方は、言ひ換へれば、兄弟や遠い親戚での継承を認める「傍系主義」の考へ方である。この見地に立つと、皇位を必ずしも自分の子供に継がせる必要はなく、親戚の誰かゞ男子を生んでくれゝば良いので、適当な数の宮家さへあれば、皇后陛下の精神的負担は軽減されるのである。

 新田均氏は、『親子継承に拘らない傍系主義が、天皇の「無私」を下支へしてきた』と考へてゐると云ふ。これこそ傍系継承の意義であらう。自分の子供に自分の地位と財産を渡したい。この願ひこそ私欲の典型であるからだ。
また、新田均氏は、『道鏡事件などが起きたのは、聖武天皇が娘の孝謙天皇に「天下をお前に授ける。お前の意思一つで一旦立てた天皇を臣下にしても良いし、臣下を天皇にしても良い」と述べた事も原因の一つだったと思ふ』と述べてゐる。

 即ち、時々、遠い傍系に皇位が渡される事によって「皇位はその時々の天皇が私すべきものではない」との認識が確認されてきたとも言へる。

皇室系図

(皇室系図: 新田均著 皇位の継承 31頁)

事実、道鏡事件を起こした孝謙天皇(重祚して称徳天皇)の後は、高祖父の父である第34代舒明天皇に遡って、曾孫である光仁天皇に皇位が伝へられてゐる。
※皇室系図参照

※参考文献
  • 「新田均著 皇位の継承」
  • 「中川八洋著 徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇」

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