七月三十日は明治天皇祭である。
皇紀2572年(明治45年)7月30日、明治天皇の崩御が宮内省より発表された。宝算61歳(満59歳)。
宮内省から、7月30日午前0時43分崩御との公式発表がされたが、当時の内務大臣の原敬は、「7月29日、午後十時四十分天皇陛下崩御あらせらる」と記し、また海軍次官の財部彪(たからべたけし)は、同日の日記に「実際ノ崩御ハ十時四十三分」と記してゐる。践祚・朝見・改元などの儀式の時間的余裕がなかった為、30日とされたとある(『国史大辞典』吉川弘文館)。
先帝祭については、以前の記事で纏めておいた。
先帝祭
明治天皇祭は、宮中祭祀、先帝前三代例祭(小祭)の事である。皇霊殿と山稜(伏見桃山陵)にて祭儀が行はせられる。祭儀は、天皇陛下御親祭のもと斎行され、皇后陛下、皇太子同妃両殿下が御拝礼される。また伏見桃山陵に勅使を参向させて奉弊される。皇族の方々は、終了したとの連絡があるまで御所にてお慎みになられる。
先帝前三代例祭とは、明治三年に御歴代の御忌日に正辰祭をお定めになったが御代数の多さから明治11年皇霊祭を定め、近四代の天皇(この時は御桃園天皇12月6日、光格天皇12月12日、仁孝天皇2月21日、孝明天皇1月30日)の例祭のみを個別に行ふ事とした(御神楽の儀は先帝一代のみ)。
「井原頼明著 増補 皇室事典(昭和17年)」には、かうある。
[例祭] 先帝祭のほかに先帝以前三代の毎年の崩御日に相当する日御恩に報い奉り、孝敬の誠を竭させ給ふため御執行の御祭典である。(皇室祭祀令参照) [式年祭] 皇室祭祀令に基き御歴代天皇の崩御日から一定の年即ち、三年、五年、十年、二十年、三十年、四十年、五十年、百年、その以後は毎百年を加ふるごとに行はせられる御祭典である。なほ一年祭は御服喪中で御喪禮であるから式年祭ではない。(皇室祭祀令参照)平成の御代では、↓
[先帝祭(大祭)] 昭和天皇祭(一月七日)。 [先帝前三代例祭(小祭)] 大正天皇祭(12月25日)、明治天皇祭(7月30日)、孝明天皇祭(1月30日)。- ※参考文献
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- 「中澤伸弘著 宮中祭祀 ~連綿と続く天皇の祈り~」
- 「井原頼明著 増補 皇室事典(昭和17年)」
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