ヘーグ条約43条の内の、「絶対的ノ支障ナキ限、占領地ノ現行法律ヲ尊重シテ」について

戦後の人間の多くは、「1945年8/15にポツダム宣言を受諾して、日本は無条件降伏し、昭和天皇の玉音放送がラジオを通じて流され、国民へ終戦が知らされた。」と、捏造を教へられた。然し当然嘘である。
まづ当時の大まかな流れをおさらいしておく。

1945年(昭和20年)8/14 ポツダム宣言受諾を決定し、当日、スイスの加瀬公使から4か国(イギリス、アメリカ、ソ連、支那(中華民国))へ伝へられた。

翌8月15日正午、昭和天皇の玉音放送がラジオを通じて流され、国民へ停戦が知らされた。

1945年9月2日、東京湾上のアメリカ戦艦ミズーリ号の前方甲板上において、日本と連合国との間で休戦協定(降伏文書)の調印が行はれた。重光 葵(外務大臣)、梅津美治郎(参謀総長)、ダグラス・マッカーサー(連合国軍最高司令官)ほか9人が書名。

この9/2を以て、陛下及び日本政府は、連合国軍最高司令官の指揮下、つまり被占領統治下となる。

サンフランシスコ講和条約
1951年(昭和26年)9月8日 調印
1952年(昭和27年)4月28日 発効・・・此れにより日本の独立が快復。

はい。「終戦」ってなんぞや?って話しです。此れは、当時の外務省政務局長の安東義良といふ奴が考へた造語なんだが、これについては割愛する。

当時の国際連盟においては、宣戦布告の効力は相手国が受領した時点で発生すると定められた。
宣戦布告(開戦)。
講和条約締結(戦争終結)。
8/15に終戦とは、支離滅裂も甚だしい。

此れは戦時国際法、つまり国際社会に於ける世界秩序を乱さぬ為の基本中の基本である。

さて、ヘーグ条約43条の内の、「絶対的ノ支障ナキ限、占領地ノ現行法律ヲ尊重シテ」について。

当時の大日本帝國は、「絶対的ノ支障」状態だったのか?
「絶対的ノ支障」状態とは、政府の統治能力の壊滅の事を云ひ、此れをデベラチオと云ふ。
ならば当時の日本政府は、デベラチオだったのか?

ポツダム宣言発表(7月26日)。

8月10日、日本側の、國體(国体)護持を条件としてポツダム宣言を受諾の通知は、中立国のスウェーデンとスイスを通じてイギリス、アメリカ、ソ連、支那 (中華民国)の4か国へ伝へられた。此れに対する連合国側の回答は、8/12に行はれた。此れは当時アメリカの国務長官であったバーンズの名をとり、「バーンズ回答」と呼ばれてゐる。

日本政府は[ポツダム受諾に関する8月10日付日本国政府申入](訳文)において

「帝国政府ハ一九四五年七月二十六日「ポツダム」ニ於テ米、英、支三国政府首脳者ニ依リ発表セラレ爾後「ソ」聯政府ノ参加ヲ見タル共同宣言ニ挙ケラレタル条件ヲ右宣言ハ 天皇ノ国家統治ノ大権ヲ変更スルノ要求ヲ包含シ居ラサルコトノ了解ノ下ニ受諾ス」

と条件付きの受諾を通知するわけだが、これに対する[バーンズ米国務長官による四国回答文通報]は。

このバーンズ回答の中に、

「From the moment on surrender the authority of the Emperor and the Japanese Government to rule the state shall be subject to the Supreme Commander of the Allied Powers who will take such steps as he deems proper to effectuate the surrender terms.」

とあり、subject toの解釈が問題となったといふ。ちなみに機械翻訳は次のやうになる。

「降伏に関する瞬間から、国を統治する天皇と日本政府の権限は、彼が降伏条件を達成するために妥当であると考えるやうな処置をとる連合国のパワー ズの最高司令官になりやすいです。」

確かに、天皇と日本政府の権限が連合国の最高司令官のものになるとの記述はあるが、あくまでも、これは降伏条件(the surrender terms)を達成するために妥当であると考えるやうな処置をとる場合に限られる。

即ち、

「who will take such steps as he deems proper to effectuate the surrender terms.」

が、あるかないかで全く意味が変はってくる。
これがなければ、単に「天皇と日本政府の権限が連合国の最高司令官のものになる」との意味で無条件降伏を示唆するわけであるが、この記述がある為に連合国のフリーハンドはあくまでも降伏条件の達成の為の処置に限定されるわけである。

日本は無条件降伏なんかしてゐない。

そして8月14日、先帝陛下(昭和天皇)も加はった御前会議で、國體護持が以下のポツダム宣言の第12条に含意されてゐるものと解釈してポツダム 宣言受諾を決定し、当日、スイスの加瀬公使から4か国へ伝へられた。

12. The occupying forces of the Allies shall be withdrawn from Japan as soon as these objectives have been accomplished and there has been established, in accordance with the freely expressed will of the Japanese people, a peacefully inclined and responsible government.
前記諸目的ガ達成セラレ、且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ、平和的傾向ヲ有シ、且責任アル政府ガ樹立セラルルニ於テハ、連合国ノ占領軍ハ、直ただちニ日本国ヨリ撤収セラルベシ。

日本國民の自由意志による平和的政府の樹立。これが確認されたら占領は解かれる。

つまりポツダム宣言は、日本國軍隊の無条件降伏であり日本國の無条件降伏ではない。ポツダム宣言が要求してゐるのは、「日本国政府が日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、日本政府がそれを保障すること」である。日本は、ポツダム宣言の諸条件のもとに有条件降伏したのである。

大日本帝國は滅びてない。有条件降伏して、占領されて、ソ連製占領基本法(日本国憲法) の押し付けにあって、1952年の桑港条約締結で独立恢復しても尚も、大日本帝國憲法を復原せず、占領憲法を憲法典と誤認して、未だに使ひ続けてゐるわけである。左翼もこの事情を知ってゐる。だから左翼は、2段階革命(ブルジョア民主革命 → 社会共産革命)を企み、占領憲法を平和憲法と称して利用し、プロパガンダしてゐるのだ!
左翼は、大日本帝國を滅ぼして、日本民主主義人民共和国にしたい。國體を破壊したいのだ。

※参考文献
  • 「井上孚麿著 現憲法無効論」
  • 「小山常美著 日本国憲法無効論」

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