資本制的外殻の破裂 ~マルクスの『資本論』とは逆行した事実~ 皇紀2686年

 『資本論』第廿三章の一節は、「資本の蓄積が進むに比例して、労働者の位置はーーます/\悪化せねばならぬ」事を説き、資本の蓄積とともに

一方の極における富の蓄積は、同時にまた、その対極たる、己れ自身の生産物を資本として造る階級の側における窮乏、労働苦、奴隷状態、無知、兇暴、道徳的堕落等の蓄積たるのである

と言った。
 また同廿四章の一節は、資本の独占集中とともに進む労働工程の社会化、技術の進歩等等について述べ、かう言った。

この転形行程に伴ふ一切の利益を横奪独占する大資本家の数が益々減少すると同時に、窮乏や、圧迫や、隷従や、壊頽や、搾取等の量が益々増大して来る。が、それとともにまた、資本制的生産行程それ自身の機構によって訓練、統合、組織される所の、不断に膨大しつゝある労働者階級の反抗が増進する。資本独占は、それとともに、またその下に、開花繁栄した生産方法の桎梏となる。生産機関の集中と労働の社会化とは、その資本制的外殻とは両立し難き点に達する。資本制的外殻は破裂する。資本制的私有の終焉を告ぐる鐘が鳴る。収奪者は収奪される。

(高畠素之譯文による)。

 しかし、西ヨオロッパについては、かやうな事は、マルクスの生前も死後も起こらなかった。労働者の状態が「資本の蓄積が進むに比例して」「ます/\悪化した」といふ事実はなく、また資本主義発達の為に資本主義の「外殻が破裂」したといふ事件も起こっておらぬ。マルクスの理論から言へば、どこまでも資本制的生産力の増大そのものが資本制的社会形態を破壊するといふ事でなくてはならないのに、資本制的生産力の最も巨大となった西欧及びアメリカ合衆国では、資本制的外殻はそのまゝに存続し、かへって(却って)これとは距離遠く見えたロシヤに破局が起きるといふ成り行きとなった。

※参考文献
  • 「小泉信三著 共産主義批判の常識」
  • 小泉信三著 共産主義批判の常識

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