大韓地誌 ~韓国が竹島を日本領と認識してゐた事実~ 皇紀2686年

 2月22日は「竹島の日」である。韓国が竹島問題に敏感に反応し、時に激しい抗議行動を起こすのは今に始まった事ではない。しかし平成20(耶蘇教暦2008)年、新学習指導要領解説書に竹島問題が記載される事が明らかになると、日の丸を燃やすだけでなく、天皇陛下の御写真にまで火を放ち、日本の国鳥である雉をハンマーで撲殺するところまで抗議行動はエスカレートしてゐる。

 しかし昭和27(1952)年以前、日韓双方の公文書に竹島を韓国領と表記してゐる史料はない。
 現在の竹島は、昔は「松島」といふ名で、当時の「竹島」(現在は鬱陵島と呼ばれる)と名前が混在してゐた。そこで日本政府が明治13(1880)年に行なった調査で両島の所在を確認。さらに明治38(1905)年に閣議決定を行なひ、竹島を島根県に編入した。一方、韓国は昭和27(1952)年1月18日に李承晩大統領が国際法を無視して公海上に境界線「李承晩ライン」を一方的に引くまで、竹島の領有権を主張してゐなかったのである。
 この「明治38(1905)年の閣議決定」について、金大中元大統領は平成17(2005)年5月23日に開催された東京大学主催のシンポジウム「朝鮮半島の共存と北東アジア地域協力」で興味深い発言をしてゐる。

「明治38(1905)年に日本政府が独島(竹島の韓国名)の編入を閣議決定した事に対して、当時の韓国政府が何も問題提起をしなかった事を根拠に領有権を主催するのは、認める事ができない。日露戦争当時の我が国は事実上、日本の支配下にあって反論できなかった」

 確かに第一次日韓協約(明治37(1904)年)、第ニ次日韓協約(日韓保護協約、明治38(1905)年)締結により、韓国は事実上、日本の保護国となり、外交権を失った。金元大統領の言ひ分にも一理あるやうにも思へる。しかし、金元大統領が触れてゐない、ある事実がある。

 韓国人歴史家の玄采が監修し、光武3(1899)年に作られた地理書『大韓地誌』(写真 ①)がそれだ。

大韓地誌

(図壱: 水間政憲著 「領土問題」の真実 45頁)

これは、まだ韓国が日本の保護国になってゐなかった時代に作られた地理書であり、当時、学校教育でも使用されてゐた”準公式文書”である。現在、原本を入手するのは非常に困難であるが、国立国会図書館関西館(京都)に所蔵されてゐた。
 この『大韓地誌』を見ると、日露戦争以前から、韓国が竹島を日本領と認識してゐた事実が確認できる。
 第一編<第一課 位置 幅員 海岸>(写真②)では、

「我が大韓民国の位置はアジアの東部に在り、支那の東北部から日本海と黄海、渤海の間に突出した半島国で、北緯33度15分より42度25分に至り、東経(英国グリニッジ天文台を基準とする)124度30分より130度35分に至り、東は日本海を界とし、西は黄海に浜とし、南は日本海と黄海を臨み、東南は一海峡を隔てて日本の対馬と相対し……」

 と記載されてゐる。竹島の位置は東経131度52分であり、こゝに記載されてゐる「我が大韓民国」には含まれてゐない。
 因みに、昭和22(1947)年発行の崔南善著『朝鮮常識問答』は、昭和40(1965)年に相馬清譯で復刻版が出てゐるが、その中でも韓国の日本海側領海を東経130度56分23秒と記述してをり、竹島は含まれてゐない。
 さらに『大韓地誌』では対馬も明確に日本領とし、最近韓国側が問題にしてゐる「東海」も「日本海」と表記されてゐる。
 (水間政憲氏が)『大韓地誌』を精査して驚いた事は、第十四編まである各項目に付いてゐる地図のうち、竹島の西にある韓国領の鬱陵島が含まれてゐる第十二編「江原道」の地図だけがなぜか”紛失”してゐるといふ事である。国会図書館の職員は、どの時点で紛失したのかを把握してゐなかった。
 この「江原道」の地図(写真③)を、(水間政憲氏が)独自に入手した『大韓地誌』の復刻版で見る事ができた。この地図に竹島は見当たらない。
 また、韓国側が竹島の古い名称と主張してゐる「于山島」は、地図上で鬱陵島の北東に隣接してをり、竹島ではなく、現在の「竹嶼」を指してゐる。

 この重要な記述のある貴重な資料を、誰がいつ国会図書館から持ち出して隠したのか、日本の捜査当局はきちんと調べるべきではないか。

※参考文献
  • 「水間政憲著 いまこそ日本人が知っておくべき「領土問題」の真実 国益を守る「国家の盾」」
  • 水間政憲著 いまこそ日本人が知っておくべき「領土問題」の真実 国益を守る「国家の盾」

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