連合軍の協定によって、ソ連・外蒙軍の占領地域は、満州全域(熱河省を除く)と内蒙古、朝鮮半島の38度線以北、樺太・千島と決められてゐた。だから、長城線の南に進出する事は勿論、熱河省を占領する事も、連合国の協定に違反してゐるのである。しかし、そんな事に拘泥するやうな相手ではなかった。
八月廿一日夜、石匣の春兵団主力は、不法抑留された仲間を奪還すべく、斬込隊や肉薄攻撃班を編成して、出撃を準備した。ところが、翌廿二日早朝、外蒙軍は石匣へ前進、午前十時頃城内の外へ達し、春兵団の全員即時武装解除を要求して来た。
竹内旅団長は、唖然として言葉も出ない程であった。ともあれ、緒方支隊の来援まで、あの手この手の交渉で時間を稼ぐ事にした。
越智参謀は、すでに抑留されてゐるので、軍使には副官の川口幸一郎大尉を派遣した。
第一回交渉は、廿二日午後三時、両軍の向かひ合ふ真ん中の地点で行はれた。副使として随行した次級副官の森三郎中尉の手記から交渉の模様を見よう。
川口大尉は、開口一番、
「なぜ、古北口での約束を守らないのか。第一線配置部隊の兵器だけは渡すが、抑留した兵員は、大至急送り返せ。また現在地からは一歩たりとも前進してはならぬ。明日中に兵員を帰さない時は、すでに肉薄攻撃班を編成してゐるので、全員玉砕を覚悟の上、斬り込みを敢行する方針である」
と強い決意を表明した。
ソ蒙軍側は、
「我々は、支那領内でもどこでも、進めるだけ進んで、その間の日本軍を武装解除し軍需物資を捕獲せよとの命令を貰ってゐるので、大きな戦果をあげたいのだ。日本は降伏したのだから、我々に兵器や軍需品を、より多く提供してくれないか」
かっ払ひが目的である事を、自認したのである。川口大尉は、兵器や軍需品は、蔣介石軍に引渡す事になってゐるので、ソ蒙軍には絶対に渡せない、と、はっきり断わって引揚げた。
ソ蒙軍は、春兵団の、打って変はった強硬な態度に、武力攻撃を企図した。石匣の城壁をぐる/\回って偵察した。しかし、城壁は、八メートルもの高さの堅固なものであり、城門内には対戦車豪が掘られ、城壁上の要所には、重火器が配置されてゐるのを見て、攻略困難と考へたらしい。
ソ蒙軍の、あの手この手の駆け引きが始まった。抑留した越智参謀や、宮田第31大隊長に銃を突き付けて、武装解除に応ずるやう勧告させる為に派遣したり、或いは彼らに、
「ソ蒙軍は、旅団主力が武装解除に応じれば、我々を帰すと言ってゐる」
といった内容の手紙を無理やり書かせたりした。
竹内旅団長は、ソ蒙軍側の執拗な要求に対して、軍使に、
「旅団長は、会議の為、北京へ出張中であり、旅団長の帰隊を待たなければ、返事ができない」
と言はせ、緒方支隊の到着までの引延ばしを図った。言はば、居留守を使ったのである。
- ※参考文献
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- 「稲垣武著 昭和20年8月20日 日本人を守る最後の戦い 四万人の内蒙古引揚者を脱出させた軍旗なき兵団」

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