ハウス・ミュージック誕生 ~新ブラック・ダンス・カルチャーの火付け役はゲイの黒人~ 皇紀2685年

 フランシス・グラッソのDJがアンダーグラウンドを沸かせてゐた頃、まだ10代半ばのラリー・レヴァンとフランキー・ナックルズの二人はマンハッタンの街を楽しんでゐた。耶蘇教暦1955年サウス・ブロンクス生まれのフランキー・ナックルズと1954年ブルックリン生まれのラリー・レヴァン。やがてダンス・ミュージックの歴史に大きく名を残す事になる二人は、彼らがまだ10代前半だった頃に知り合ってゐた。二人ともアフリカ系で、ゲイだった。

 ウーレー社製のミキサーは今日ハウスDJにとって最高のミキサーとして知られるが、これは元々ボザック社が開発したもので、デヴィッド・マンキューソが自分の〈ロフト〉の為にアレックス・ロスナーに作らせた世界初のステレオ・ミキサーが原型になってゐる。

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 1980年代半ば、アンダーグラウンドのダンスフロアは、さらに新しい次元に突入しようとしてゐた。マニュエル・ゴッチングの “E2-E4” による煌めきが〈パラダイスガレージ〉を初めて包み込んだその翌年、ラリー・レヴァンのターンテーブルにはセクシャルでアブストラクトなエレクトロニック・ダンス・ミュージックがまはってゐた。曲のタイトルは、 “Mystery of Love” 、 アーティスト名はフィンガーズ・インクといふシカゴの若い三人組だった。そして、その音楽はハウスといった。

マニュエル・ゴッチング – E2-E4

フィンガーズ・インク – Mystery of Love

 フランキー・ナックルズがシカゴに新しくオープンしたクラブ〈ウェアハウス〉のDJに招かれたのは1977年の三月の事だった。ナックルズは前年末まで、例の〈コンチネンタル・バス〉にゐたのだ。

 シカゴはかつてゴスペルやジャズやエレクトリック・ブルースの中心地だった。そして1980年代はハウスの故郷としてその名を馳せたが、この新しいブラック・ダンス・カルチャーに火をつけたのはストレートな黒人ではなく、ゲイの黒人だった。
 ナックルズがシカゴを気に入った理由はなにも黒人ゲイが多いからだけではない。〈ウェアハウス〉の600人ほどの決して広くはないキャパシティには、2000人ほどの人間が詰めかけたが、そこにはバーに座ってタバコを吸ったり、座って会話に熱心な人間はゐなかった。ほぼ全てがそのまゝフロアに居続け、ダンスしてゐた。彼らがそこにゐる目的はたった一つ、さう、ナックルズのDJで踊る事だった。

 ハウス・ミュージックといふジャンル名は、〈ウェアハウス〉から来たといふのが定説となってゐる。初期シカゴ・ハウスのプロデューサー、チップ・Eは言ふ。

「フランキーが頻繁にプレイしてゐた〈サルソウル〉みたいな音楽の事をみんなはまだ知らなかったからなんだ。だからそれを最初 “ウェアハウス・ミュージック” と呼んだ。俺達がそれを作るやうになってから呼び名も縮められ、 “ハウス” となった」

ハウスが表現の領域を拡張し、詩情めいた豊かさを持ち得る契機を準備したのはラリー・ハードだった。シカゴ・ハウスの第二世代を代表するグレン・アンダーグラウンドは1996年のインタヴューではっきりと言ってゐる。

「今日、ハウス・ミュージックが生き延びてこられた大きな理由の一つがラリー・ハードだ。彼はハウス・ミュージックにおける巨大な要因である」

 そして中でも最も巨大な要因となったのは、1986年にリリースされたラリー・ハードの “Can You Feel It” といふ曲だった。

MR.FINGERS(Larry Heard の別名義) – Can You Feel It(4:24~)

※参考文献
  • 「野田努著 ブラック・マシン・ミュージック ~ディスコ、ハウス、デトロイト・テクノ~」
  • 野田努著 ブラック・マシン・ミュージック ~ディスコ、ハウス、デトロイト・テクノ~

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