「世紀の愚策(ポーランド独立保障宣言)」をとらせたのはルーズベルト ~裏付けるポーランド政府の文書~ 皇紀2684年
フーバーは、なぜチェンバレンがこれ程の方針転換をしたのか理解できなかった。その理由を探らうとした。 一、チェンバレンは、自分が(過度な)宥和主義者ではないとアピールしたかった。 二、英仏両国によるドイツに対する虚勢を張 […]
フーバーは、なぜチェンバレンがこれ程の方針転換をしたのか理解できなかった。その理由を探らうとした。 一、チェンバレンは、自分が(過度な)宥和主義者ではないとアピールしたかった。 二、英仏両国によるドイツに対する虚勢を張 […]
前回の投稿にて、『廿日合戦の夜に、風が吹いて、一晩で帰っていった』といふ通説は、『関東評定伝』に『同廿四日、大宰府に寄来りて、官軍と合戦す、異賊は敗北す』とあり、廿四日に合戦があったと明記されてゐる事により、神風史観に […]
耶蘇教暦1938(昭和13)年9月22日、ヒトラーは、チェンバレンとの再交渉の時に、ズデーテンラント全域の併合を要求し、これを文書にした(ゴーデスベルク覚書)。回答期限は9月28日だった。対チェコスロバキア戦争の最後通 […]
「陸軍省戦争経済研究班」は、国の経済抗戦力をPとし、関数 P = S(軍事供給力) / T(持久期間) で捉へ、軍事供給力と持久期間のバランスに着目した。そして、このシミュレーションの結論として、我が国が「二年程度と想 […]
大日本帝国陸軍は、昭和十四年秋、我が国の最高頭脳を集めた本格的なシンクタンク「陸軍省戦争経済研究班」をスタートさせた。我が国に経済国力が無い事を前提として、対英米の総力戦に向けての打開策を研究する為である。開戦の凡そ二 […]
「投馬国」の比定について、古田武彦氏の論調を以下に纏める。 邪馬壹国は、北は不弥国に接し、西は奴国にも、殆ど接してゐる。 (図壱: 古田武彦著 「邪馬台国」はなかった 260頁) 不弥国が投馬国にいたる傍線行路の分 […]
「日本国憲法失効論」の著者である菅原裕氏は、実際に東京裁判で元陸軍大将荒木貞夫氏の弁護人を務めた。 この裁判に臨んだ日本の弁護人達は、次第に露呈してきた不法と欺瞞だらけの東京裁判に切歯扼腕したが、占領下の言論統制や公 […]
『現代語譯 古事記』の中で人気がある書籍の一つに、竹田恒泰氏の譯書がある。その中身は特に問題は感じない。国史を教へない戦後教育を通して、骨抜きにされた事なかれ日本人が、古事記に触れるきっかけになるなら、大いに評価できよ […]
「文永の役では、蒙古軍は嵐の為に一夜で退却した。」と書いてゐる教科書が複数ある、と著者の服部氏は述べる。ところがさうした記述は、歴史書の中にはただの一点もない。どこにも書かれてゐないのである。 嵐の為に一夜で退却した、 […]
あけましておめでたうございます。 今年の初詣は、地元の神社で済ませました。 済ませたといふのも失礼かもしれないが、昨年は、菅原道眞公をお祀りする亀戸天神に、一昨年、それ以前は、靖國神社、泉岳寺など、英霊、赤穂義士と、勤 […]