【公共の福祉といふ欺瞞: ハイエクに学ぶ】

戦後の左翼教育では、
大日本帝國憲法下では、制限なく悪法を作れて自由を制限出来、
占領統治憲法下では、とにかく自由だ。
と大半の日本人は、教はったと思ふ。
だが、その占領統治憲法には、ちょくちょく「公共の福祉」といふ言葉が登場する。戦後日本の左翼教育を受けた者なら、聞いた事があるだらう。
占領統治憲法は、「公共の福祉に反しない限り、自由は最大の尊重」といふやうに謳ってゐる。

ここで「公共の福祉」について、ハイエクの見解を参照する。

『例へば、H・G・ウェルズ氏のやうな最も包括的な中央集権的計画化の唱導者の先頭に位置する人が、同時に「人権」の熱烈な擁護論を書いてしまふのである。ところが、ウェルズ氏が保持したいと望んでゐる個人の諸権利は、彼の要求してゐる計画化の実現を妨げる障害となることは、避けがたいものである。このジレンマに彼はうすうす気づいてゐるやうだ。かくして、彼の提案してゐる「人権宣言」の規定は、…例へば、彼の「宣言」は、全ての人は「法的に売買してよいものはどんなものでも、どんな差別的な制限もなしに売買してよい権利を持つ」と記してゐる。これは賞賛に値する宣言である。だが、彼は次のやうに付け加へることによって、すぐにこの内容を無効にしてしまふのである。即ち、この規定は「公共の福祉と合致するやうな数量と条件制限のもとにおいて」売買することだけに適応されるといふのである。この場合、言ふまでもなく、売買に課せられるどんな制限でも、「公共の福祉」から見て必要だとされてしまふ可能性がある為、この規定が禁止できる制限はなくなってしまひ、結局、この規定によって擁護される人権など存在しなくなってしまふ。』

(「F・A・ハイエク著 隷属への道(The Road to Serfdom 1944年) 107頁~108頁」)

特に重要な点だ。↓

『この場合、言ふまでもなく、売買に課せられるどんな制限でも、「公共の福祉」から見て必要だとされてしまふ可能性がある為、この規定が禁止できる制限はなくなってしまひ、結局、この規定によって擁護される人権など存在しなくなってしまふ。』

「公共の福祉」には明確な際限がない為、如何様にも解釈次第で、制限なく自由を制限出来るといふ事である。

ここで占領統治憲法12,13条を見てみる。

[占領統治憲法12条]
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

[占領統治憲法13条]
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

・この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない
・すべて国民は、個人として尊重される
・立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする

上記の三つに関しては、特にこれといって問題はない。
だが、これら三つは全て、「常に公共の福祉のために、公共の福祉に反しない限り」といふ規定のもとにある為、言ひ換へれば、「公共の福祉に反する場合は、自由、国民の権利を制限なく制限出来る」のである。これが占領統治憲法の正体である。

ならば我が國のやうな伝統國家では、本来はどうであるか。

[大日本帝國憲法第二十九條]
日本臣民ハ法律ノ範圍内ニ於テ言論著作印行集會及結社ノ自由ヲ有ス

長らく戦後日本の左翼教育は、冒頭でも書いた通り、帝國憲法下では、制限なく悪法を作れて、自由を制限出来る、と教へてゐる。

帝國憲法第二十九條には、「法律ノ範圍内ニ於テ」とあるが、この真の意味を、ルソーの社会契約論に染まってしまってゐる者は、到底理解出来ないだらう。

[大日本帝國憲法第七十六条]
一. 法律規則命令又ハ何等ノ名称ヲ用ヰタルニ拘ラス此ノ憲法ニ矛盾セサル現行ノ法令ハ総テ遵由ノ効力ヲ有ス
二. 歳出上政府ノ義務ニ係ル現在ノ契約又ハ命令ハ総テ第六十七条ノ例ニ依ル

帝國憲法第七十六条一項に、「此ノ憲法ニ矛盾セサル現行ノ法令ハ総テ遵由ノ効力ヲ有ス」とある。
「憲法に矛盾しない現行の法令は総て効力がある」、言ひ換へると、「憲法に矛盾する現行の法令は無効である」といふ事である。
つまり、帝國憲法に矛盾する法律は無効であるから、帝國憲法に違反する悪法は無効といふ事なのである。
これは「法の支配」に基づいてゐる。

「法の支配」については、前回の投稿記事でも触れてゐる。
前回の投稿記事

憲法とは、歴史伝統慣習の事であり、憲法典は、憲法の一部を体現した成文法。
憲法 (歴史伝統慣習) > 憲法典(大日本帝國憲法) > 法律。

即ち、帝國憲法下では、憲法 > 憲法典 に違反する法律は無効であり、作れない。よって、歴史伝統慣習(憲法)を天皇及び皇室、そして我々臣民が君民ともに遵守する事で、自由が保障される。大日本帝國憲法が、真正自由主義憲法と呼ばれる所以はここにある。
一方、占領統治憲法下では、政府が、公共の福祉に反すると都合で解釈し判断をくだせば、自由、国民の権利を制限なく制限出来、これこそ「悪法も法なり」となり、左翼全体主義が形成されていくのである。

※参考文献
  • 「F・A・ハイエク著 隷属への道(The Road to Serfdom 1944年)」
  • F・A・ハイエク著 隷属への道(The Road to Serfdom 1944年)

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