明治維新: その行動を生み出すありのままなる意識とは

高杉の行動を裏づける心情において「毛利家恩古の臣」「高杉家の嫡子」として「忠孝」の意識が根強かった。
明治維新にさきだって、すでにはやくから、封建的藩閥意識を否定した人々は少なくなかった。幕末時代の洋学者達は決して少なくない。
しかしそのやうな人が、歴史の実践的な変革に対して、必ずしも情熱的であったわけでもなく、歴史的な行動において大きな指導力、影響力を及ぼしたわけでもない。歴史の変革にさいして、人々に深い感動的な指導を与へ、大きな影響力を及ぼした長州の高杉晋作とか薩摩の西郷隆盛とかいふ人は、並々ならぬ藩意識の強烈な人であった。かれらは尊皇の大旗をかかげて統一國家建設の目標を追求した。しかしかれらの統一國家意識は、藩意識否定の上にはじめて成立したといふものではなかった。かれらは統一國家建設の歴史的な世紀の偉業において、「わが藩におくれをとらせてはならぬ」と思ったのである。かれらの強烈な藩意識は、統一國家建設のために大きな精神的原動力となった。
このやうな意識と行動との関係は、明治史を通じても見ることができる。薩長の藩閥政治家は、統一國家に反対したのではない。統一國家建設に熱心だった。この藩閥政権に反対して、近代的自由民権を主張した人々の間では、薩長藩閥に対する反感はいちじるしいものがあったけれども、しかもかれらの胸中にも、それぞれの藩閥的な意識が根強い。土佐こそは新時代建設の主流とならねばならぬ、筑前こそは、自由民権の第二維新の先頭に立たねばならない、東北こそは・・・・といふやうな競争意識が、かれらの行動に情熱を与へた側面には、無視しがたいものがある。かくして近代的統一國家ができあがっていく事実が固まるとともに、藩閥意識も郷土意識も影がうすれてきたのではあるが、それらの意識を、ただ形式論理的に近代統一國家意識の反対的な意識としてのみ割り切ったのでは、歴史における人間の行動と意識との関係は理解されないであらう。
人間の行動は、しばしは、かれの意識が予想もしなかったやうな歴史的成果を生み出すものである。しかしながら、歴史は人間の行動を通じてのみ創造されるものであり、その行動を生み出すありのままなる意識を無視したのでは、けっして生き生きと理解されることはない。

※参考文献
  • 「葦津珍彦著 武士道 ~戦闘者の精神~」

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