[島原の乱] 宗教的色彩

農民達が年貢の減免を求めて蹶起したのではない。島原の乱を主導したのは旧領主の家臣である。
キリシタン大名であった小西行長の遺臣が中心になって、その回りに有馬の旧臣も加はって、困窮した農民を糾合して蹶起した。
つまりキリシタン連中が立ち上がったのは、重税に抗議したといふ政治的なものでは全くなく、極めて宗教的色彩の強いものであったのだ。
戦國時代は、神仏は「天道」という思想によりくくられてゐた。
どの宗派も基本的には同じものとして考へられてゐた。
キリスト教も同じものとして受け入れられると日本人は考へたが、宣教師はそれを許さずキリスト教以外には救ひはないと伝道した。キリスト教は排他的な宗教であったゆえに、危険視された。
島原の乱は宗教的なものだったのである。
このやうに、当時の島原・天草のキリシタン達は、「異教徒」や「異教施設」は世の中から排除すべき存在であると考へ、その為に異教徒を殺すことも寺社を破壊することも正しいと考へたやうなのだが、「一神教」といふものは純粋化すればするほど異教徒に対して排撃的となり、神の名を借りて過激な行動を正当化することがよくあるのである。
この芸人は、歴史通芸人を売りにしてるやうだが、これでは唯左翼が作った教科書を棒読みしてるに過ぎず寧ろ子供達にとっても危険である。
左翼教科書には、「農民達が年貢の減免を求めて蹶起した」と書いてあるみたいだが、これこそまさにレーニンの帝國主義論そのものではないか!

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