【多数派の暴政や衆愚政治を抑制する】「貴族院」と「皇室典範の復元」

多数派の暴政や衆愚政治を抑制する

「梓弓」山岸さんの大日本帝國憲法改正案を拝借する。

[大日本帝國憲法改正案]


第3章 帝国議会

(「多数派の暴政」や衆愚政治を抑制する観点から、貴族院による二院制を維持し、また、衆議院は選挙区選出議員の員数を総数の三分の一とする。)

第33条 帝国議会ハ貴族院衆議院ノ両院ヲ以テ成立ス

第34条 貴族院ハ貴族院令ノ定ムル所ニ依リ皇族華族及勅任セラレタル議員ヲ以テ組織ス

第35条 衆議院ハ選挙法ノ定ムル所ニ依リ公選セラレタル議員ヲ以テ組織ス
(追加した規定)2 選挙法ニ於テハ衆議院議員公選ヲ選挙区制比例代表制職能代表制ノ三方法ニ依リ均分ニ衆議院議員ヲ選挙スヘキ旨定ムヘシ

職能代表制とは、職業別団体から代表を選出し議会に送る代議制度の事である。

さて、ここで「貴族院」について触れる事にする。

貴族院は皇族議員、華族議員、勅任議員で構成。

皇族議員
成年(皇太子・皇太孫は満18歳。その他の皇族は満20歳)に達した皇族男子は自動的に議員となる。終身議員で、定員はなく、歳費もなし。しかし、皇族が政争に関与すべきではないとの見地から、帝國議会の歴史上、一度も議員として出席したことはないさうである。

華族議員
華族から選出される議員。華族議員は、公爵議員、侯爵議員、伯爵議員、子爵議員、男爵議員で構成される。なお、朝鮮貴族は朝鮮貴族令第5条により華族と同一の礼遇を享けるものとされたが、華族議員となる資格はなく、勅任議員として貴族院議員となった。

【公爵議員、侯爵議員】
満25歳に達した公爵、侯爵は自動的に議員となる。終身議員で、定員はなく、歳費もなし。しかし大正14年、勅令第174号による改正により、年齢が満30歳に引き上げられ、また勅許を得て辞職すること及びその後勅命により再び議員となることが認められるやうになった。

【伯爵議員、子爵議員、男爵議員】
満25歳に達した伯爵、子爵、男爵から互選で選ばれる議員。任期は7年。定員については、以下のやうに変遷した。

・設立時
伯爵、子爵、男爵議員の定数は、各爵位を有する者の総数の5分の1を超えない範囲とされた(第1回帝國議会において伯爵14名、子爵70名、男爵20名。第21回帝國議会において伯爵17名、子爵70名、男爵56名)。

・明治38年
勅令第58号により、伯爵議員、子爵議員、男爵議員を通して定数143名として、各爵位を有する者の総数に比例して配分することとなった。

・明治42年
勅令第92号により、伯爵17名、子爵70名、男爵63名とした。

・大正7年
勅令第22号により、伯爵20名、子爵73名、男爵73名と増員した。

・大正14年
勅令第174号により、年齢が満30歳に引き上げられるとともに、伯爵18名、子爵66名、男爵66名の合計150名の定数となった。

勅任議員
勅任議員とは、天皇陛下によって特別に任命される議員。勅任議員は、勅撰議員、帝国学士院会員議員、多額納税者議員、朝鮮・台湾勅撰議員で構成される。

【勅撰議員】
國家に勲労ある者又は学識ある者の中から、内閣の輔弼により天皇陛下が任命する。終身議員。人数は125名以内。

【帝國学士院会員議員】
帝國学士院会員で、30歳以上の男子から互選される。任期は7年。定員は4名。

【多額納税者議員】
土地あるいは工業・商業につき多額の直接國税を納める30歳以上の者の中から互選される。任期は7年。人数は67名以内。

【朝鮮・台湾勅撰議員】
朝鮮または台湾に在住する満30歳以上の男子で、名望ある者が特に勅任される。任期は7年。人数は10名以内。1945年(昭和20年)に創設。なお、朝鮮・台湾勅選議員が設立される以前は、朝鮮・台湾出身者は勅撰議員として議員となってゐた。

【歴代貴族院議長】

初代 伊藤博文 伯爵
1890年(明治23年)10月24日~1891年7月
第1回通常会

第2代 蜂須賀茂韶 侯爵
1891年(明治24年)7月20日~1896年10月
第2回通常会~第9回通常会

第3代 近衛篤麿 公爵
1896年(明治29年)10月3日~1903年12月
第10回通常会~第18回特別会

第4代 徳川家達 公爵
1903年(明治36年)12月4日~1933年6月
第19回通常会~第64回通常会

第5代 近衛文麿 公爵
1933年(昭和8年)6月9日~1937年6月
第65回通常会~第70回通常会

第6代 松平頼寿 伯爵
1937年(昭和12年)6月17日~1944年9月
第71回特別会~第85回臨時会

第7代 徳川圀順 公爵
1944年(昭和19年)10月11日~1946年6月
第86回通常会~第89回臨時会

第8代 徳川家正 公爵
1946年(昭和21年)6月19日~1947年5月2日
第90回臨時会~第92回通常会

最後に「皇室典範の復元」について、書籍「占領憲法の正體」から引用する。

典範の復元措置としては、占領典範の排除と同時に、明治典範及びその他の皇室令ならびに皇室慣習法を回復させることである。勿論、これは、皇室の自治と自律を奉還するためになされるものであり、その復元措置とその後の改正などについては、専ら皇室の自治と自律に委ねられることになる。皇室の家法に、臣民の分際でこれに口を挟むことを許してはならないのである。
そして、その準備としてなされる具体的な手順としては、
①昭和22年5月1日になされた明治典範を廃止する旨の勅令である「皇室典範及皇室典範増補廃止ノ件」を祓除(無效確認)して明治典範を復活させ、
②昭和22年10月13日に占領典範のもとで初めてなされた「皇室会議」で、秩父宮、高松宮、三笠宮の三宮家を除く11宮家51人の皇族の皇籍離脱の決定が無効であることを前提として、明治典範第30条の皇族すべての皇族たる身分が回復された旨の新たな勅令を宣布され、
③昭和22年4月になされた「皇族会議」を廃止する旨の勅令を祓除(無效確認)して皇族会議を復活させ、さらに、
④昭和22年4月30日になされた「枢密院官制」(明治21年勅令第22号)と枢密院を廃止する旨の勅令や「皇室令及附属法令廃止ノ件」(昭和22年皇室令第12号)などを祓除(無效確認)して枢密院官制及び枢密院を復活させる旨の新たな勅令が宣布されれば、これだけで明治典範を含む正統典範の復元措置としては充分なのである。

つまり、「旧皇族」といふ呼称は誤りで、紛れもなく「現皇族」である。女系天皇、女性天皇、女性宮家などについて喧しく賛成だ反対だとの不遜極まりない議論をしてゐる者は、すべて国民主権の信奉者たちであるから、このやうな論争は百害あって一利なしなのである。すべては、明治典範その他の正統な宮務体系に基づいて、皇室の自治と自律を回復することによって全てが解決するのであるから、そのことを最優先に主張すべきなのである。

そして、皇室の自治の自律が回復すれば、皇位継承の決定と変更、宮家の創立と復帰、明治典範の改正、皇族関連施設及び皇室行事管見施設(京都御所、皇居、東宮御所、御用邸など)に對する施設管理、行幸の決定、宮内庁長官その他の宮内庁職員全員の人事と組織編成など広範な権限が天皇と皇族に委ねられ、天皇の御叡慮に基づく大改革がなされるのである。

※参考文献
  • 「南出喜久治著 占領憲法の正體」

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