春季(秋季)皇霊祭と春季(秋季)神殿祭《大祭》 ~春分、秋分の日~ 皇紀2679年

 春分の日は「春季皇霊祭」、秋分の日は「秋季皇霊祭」である。戦後占領下でGHQによって春分、秋分の日と改変されたのである。

 この御祭儀は、皇室の御歴代、后妃を始め皇族方に至るまでの、天皇陛下のご先祖の神々を皇霊殿で、また天神地祇の神々を神殿において、年に二度、春と秋に御霊の慰撫と奉賽の大孝を述べさす給ふお祭りで、御自ら御告文を奏せられ、玉串を捧げて御拝礼遊ばされる、大祭である。

 皇霊祭とは、歴代天皇や皇后、皇族の皇霊が祀られた皇居内の「皇霊殿」にて、春分と秋分に奉祀する儀式である。

「井原頼明著 増補 皇室事典(昭和17年)」では、以下の如くに詳説がある。

神武天皇を始め奉り、御歴代天皇、御歴代外天皇、皇后、皇妃、皇親を御追遠あらせられ、大孝を申べさせられ併せて皇國の彌榮を祈らせられる御祭儀である。天皇陛下には御束帯黄櫨染御袍を召されて出御、皇霊殿に御親祭ありて御拝礼、大前に御告文を奏せられる。次で皇后陛下、皇太后陛下にはおすべらかしの御髪(おぐし)にて、御五衣(おんいつつぎぬ)・御小袿(おんこうちき)・御長袴(おんながばかま)を召されて出御、順次御拝礼遊ばされる。次に御参列の皇族各殿下を始め奉り、文武百官が拝礼して退下する。

 徳川時代までは御所の黒戸にてご先祖の追孝の御義を仏式で行はれてゐたが、明治維新後、皇霊殿にて神式でお祭りされて以来、明治十一年(1878)の秋の皇霊祭からこのやうに行はれるやうになった。

 併せて春秋この日に神殿祭も行はれる。八神及び天神地祇の御恩に感謝し給ふ祭儀である。天皇陛下御自ら御告文を奏せられ、皇族各殿下が御拝礼遊ばされる。

「井原頼明著 増補 皇室事典(昭和17年)」には、かうある。

引続いて神殿祭が行はれるが、この御祭儀は報本のため八神及び天神地祇に対せられて、聖上親しく御恩を謝し給ひ、神佑を請はせられ、皇國の彌榮を祈らせられるのである。

 参列諸員拝礼の後、皇霊殿には、御神楽「東游(あづまあそび)」が楽部によって奏せられる。これは第廿七代安閑天皇の頃に駿河の有度(うど)浜(現在の静岡県三保松原付近)に舞ひ降りてきた天人の姿を象った舞とされる。なほ神殿祭には東游の儀は行はれない。
※皇室祭祀令第八條、第九條、第十二條、第十三條竝に同令附式参照

 春分、秋分の日から、本来の正しい名称に戻す事は、日本國民の責務に他ならない。

※参考文献
  • 「中澤伸弘著 宮中祭祀 ~連綿と続く天皇の祈り~」
  • 「井原頼明著 増補 皇室事典(昭和17年)」
  • 中澤伸弘著 宮中祭祀 ~連綿と続く天皇の祈り~
  • 中澤伸弘著 一般敬語と皇室敬語がわかる本 井原頼明著 増補 皇室事典(昭和17年)

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