吉田松陰が説く女子の教戒 ~武教全書講録 子孫教戒~

『身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留置まし大和魂』

 吉田松陰が、処刑二日前の10月25日に書き始め、翌日26日夕刻までに江戸・小伝馬町牢屋敷の中で書き上げられた「留魂録」の巻頭に綴られてる弟子宛の辞世の句である。松陰は、高杉晋作、伊藤博文等多くの志士に影響を与へた幕末の思想家であり、また、後生の日本人が大和魂、ひいては武士道の「義」を松陰からその多くを学ぶ。吉田松陰と聞けば、かやうに思ひ起こさせるが、女子の教戒、即ち女子教育論をも説いてる事は、一般的にあまり知られてないやうにも思へる。

 松陰の主著の一つに『武教全書講録』がある。『武教全書講録』とは、松陰が先師と慕はれた山鹿素行の『武教小学』等を、族中の師弟らに講義した際の講義録であり、今に残る松陰の講義録としては『講孟箚記(こうもうさっき)』に次ぐ大部である。『武教小学』は、山鹿素行の著書・山鹿流兵学の「武教全書」の序論にあたる。松陰は、『武教全書講録』の「子孫教戒」といふ章で、女子教育論にふれてゐる。

[子孫教戒(吉田松陰)] 『
又貝原氏の書、或は心学者流の書等を以て教とするあり。之尤も正しく尤も善し。然れども柔順、遊閑、清苦、険阻の教はあれども、、節烈果断の訓に乏し。太平無事の時は是れに余りあれども、変故の際に貞操峻節を勵ますに至りては、未だ足れりとせず。

(川口雅昭訳)
貝原益軒の書(「家道訓」「女大学」等)や石田梅岩らの書(石田梅岩「都鄙問答」、手島堵庵「前訓」、中沢道二「道二翁道話」、柴田鳩翁「鳩翁道話」等)を教へとすることがある。これが最も正しく最もよいことである。しかし、素直で人に逆らはないこと、もの静かなこと、清廉であること、倹約で質素であることの教へはあるけども、節義を守る強烈さや思ひ切りのよさの教へは少ない。世の中が安泰である時は前の四つでも十分であるが、いざといふ際には女子の高潔で厳しい節操を奮ひ立たせるには、これでは足りるとはいへまい。

 当時、女子教育については貝原益軒の良妻賢母主義による女子訓などが知られたところであったが、江戸時代において女子教育の必要性を説いた人物は数少ない。松陰は、この章の中で、女子の教戒の必要性を以下のやうに説いてゐる。

「女子の教戒のことは、山鹿素行先生のいはれる深い意味をもっと味はうべきである。夫婦といふものは人と人との秩序関係の大本であって、父子兄弟関係の生まれ出る源であるから、一家が栄へるか衰へるか、治まるか乱れるかの分かれ目はここにある。だから、まづ女子を教へ戒めなければならない。男子がどれほど精神が強く逞しくて武士道を守ったとしても、婦人が道を失ふ時は、家は治まらず、子孫への教へも戒めもすたれて絶へてしまふ。どうして慎まないでよからうか、慎むべきである。しかし、近頃、女子への教戒は非常に大切であるといふ人を聞かない。」

 男子が武士道を貫いても、婦人が道を失ふと、家は治まらず、子孫への教へも戒めもすたれて絶へてしまふ。そして、貝原益軒や石田梅岩らの書は、節義を守る強烈さや思ひ切りのよさの教へは少ない、といふ。
つまり、太平無事の時はこれで十分だが、維新を必要とする未曾有の國家危急時には、『貞操峻節を勵ますに至りては、未だ足れりとせず。(女子の高潔で厳しい節操を奮ひ立たせるには、これでは足りるとはいへまい。)』といふことである。

 私は、吉田松陰先生の『女子の教戒』を読んでから、維新の成就の為には、大和撫子の精神を志す烈婦が肝要であると確信に至った。
さらに、この「子孫教戒」の章では、藩内に尼寺のやうなものを作り、「女学校」と号し設立する旨が書かれてある。女子の教戒の一策を述べてゐる。この詳細は後日の記事にしたい。

※参考文献
  • 「吉田松陰著 武教全書講録 (全訳注:川口雅昭)」
  • 吉田松陰著 武教全書講録 (全訳注:川口雅昭)

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