名誉革命と英国憲法の礎石 ~バークに学ぶ~

バークは、名誉革命を、ピューリタン革命やフランス革命とごた混ぜにするのではなく、区別する必要があることをここで述べてゐる。

『旧ユダヤ人通りのこの紳士諸君は、1688年の「革命」をめぐるすべての議論において、実は、イングランドでその四十年前に偶々起きた革命とか最近のフランス革命とかを余りにも思ひ浮かべ過ぎ、それで心の中が一杯になってゐる為、三つの革命をいつもごた混ぜにしてゐるのです。我々としては彼らが混同してゐるものを区別する必要があります。彼らの誤った幻想に対して、我々の尊敬して止まぬ「革命」の諸行為を想ひ起こさせ、その真の諸原理を見出さねばなりません。もしも1688年の「革命」の諸原理がどこかで見出されるとすれば、それは権利宣言なる法令の中に他ならないのですが、偉大な法律家と政治家が(興奮しやすく無経験な熱狂家ではありません) 起草した、真に賢明真摯しかも思慮深いその宣言の中では、「我々の統治者達を選び、失政の故を以て彼らを追放し、我々自身の為に政府を形成する」一般的権利など、一言半句はおろか示唆一つされてゐないのです。』

「エドマンド・バーク著(半澤孝麿訳) フランス革命の省察 23頁」

そして「権利宣言」は、英国憲法の礎石であり、臣民の諸権利と王位継承とは一体のものとして宣言された、とある。

『この権利宣言(ウィリアム・メアリー治世第一年第二議会法令第二)は、我が国憲法の礎石であり、それを補強し、闡明し、改善してその基本原理を永遠に確定したものです。それは、「臣民の諸権利及び諸自由を宣言し、王位継承を定める法律」と呼ばれてゐます。ここからもお判り戴けるやうに、これら臣民の諸権利とこの王位継承とは一体のものとして宣言され、双方が不可分に結び付けられてゐるのです。』

「エドマンド・バーク著(半澤孝麿訳) フランス革命の省察 23頁」

さらにかう続く。

『この時期の数年後、王位に対する選挙の権利を主張すべき第二の機会が訪れました。ウィリアム王及び後アン女王となられた女公殿下は世嗣が一人として御出来にならない、との見通しがつけられたので、王位継承と人民の自由の保証の促進とをどうするかといふ問題を、立法部は再び考慮しなければならなくなったのです。果たしてこの二度目の折りに彼ら立法部は、旧ユダヤ人通りのいかさま「革命」原理に従って王位を法的に認める条項など一つでも作成したでせうか。否です。彼らは権利宣言を貫く原理に従ひました。そして、プロテスタントの家系の中から誰々が継承者たるべきかを一層正確に指定したのです。この法令もまた、全く同じ方針に則って、我々の自由と世襲的継承とを一の法令の中に合体させるものでした。彼らは、我々自身の統治者を選ぶ権利どころか、その家系(ジェームズ一世より発するプロテスタントの家系)内での継承こそ「我が王国の平和と精謐と安全の為に」絶対必要である、と宣言したのです。また、「臣民が自らの保護を安じて委ね得るその継承の確実性を維持すること」が彼らにとって同じく肝要である、とも宣言したのです。これら二つの法令を通じて聞えて来るのは、「我々の統治者達を選ぶ」などといふ、まやかしのジプシー風預言を奨揚する声ではなくて、誤解の余地も無い明快な「革命」政策の宣示です。この二法令こそは、如何に国民の叡智が、必要から生じた一事例を法の原則に変へてしまふのに反対であったかの証拠をなすものです。』

「エドマンド・バーク著(半澤孝麿訳) フランス革命の省察 23頁~24頁」

『旧ユダヤ人通りのいかさま「革命」原理に従って王位を法的に認める条項など一つでも作成したでせうか。否です。』

↑特例法?不敬である。正統な明治皇室典範を奉還せよ!

ここでの主旨は、「如何なる陋習にも、権利宣言を貫く原理に従ひ、これを一層正確に指定し、全く同じ方針に則って、自由と世襲的継承とを一の法令の中に合体させる」といふ事である。

我が日本でも、旧来の陋習が降り積もると、結局は維新が行はれてきた。本来の「天皇を中心とする祭祀國家」を再確認するのである。

以前投稿した、バーク保守主義についての記事↓

高貴な方の財産について。「エドマンド・バーク著 フランス革命の省察」から学ぶ。 / 皇室財産令

真正保守(自由)主義とは何か?「エドマンド・バーク著 フランス革命の省察」から学ぶ

※参考文献
  • 「エドマンド・バーク著(半澤孝麿訳) フランス革命の省察」

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