歴史の流れ。松代藩から出た吉田松陰の師、佐久間象山

佐久間象山は、信濃の松代藩士・佐久間一学の長男として、1811年2月28日に信濃で生まれた。
1828年、象山は佐久間家の家督を継いだ時の、松代藩主は真田幸貫である。幸貫は、真田信之から数へて八代目にあたる。
幸貫は、象山の才能を高く評価してゐた。
佐久間一学(父)が亡くなった後、象山は江戸に出る。
象山と云へば、藩主・真田幸貫に海防の重要性を説いた意見書「海防八策」や「カノン砲の鋳造」が有名だが、何を隠さうあの山鹿流兵学を継承した吉田松陰も、象山の門下生だったのだ!
1850年、象山は、江戸木挽町の松代藩邸に私塾を開き、吉田松陰、勝海舟、河井継之助、坂本竜馬、小林虎三郎、宮部鼎蔵、橋本左内、岡見清熙、加藤弘之、山本覚馬ら多くの門下生に教へた。
象山は、1852年には、勝海舟の妹・勝順子を正妻に迎へる。
勝海舟の「海舟」は、佐久間象山が自らのの書斎に「海舟書屋」と名前を付けてゐたのを気に入って、自分の名にしたのださうだ。

どうですかこれ!
犬伏の別れ、関ヶ原の役、大坂の陣、大坂城落城、真田一族、赤穂藩、山鹿流、赤穂浪士、象山、吉田松陰、明治維新。
歴史とは点で捉へてはならない。流れがある。もう一度云ふ。点ではなく、流れを掴み、潔く決断する事だ!


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